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いつかは死んでしまうことを

2021.3.29
 故郷は福井県に帰省いたしました。
いまだに我が家の犬の鳴き声が聞こえないことにはなれず、続く日常がそこにはありました。
福井駅前は大掛かりな工事をしており、新幹線開通に向けて着々と進んでおりました。思い出の中の故郷とは形は変わっているけれども根っこは変わらないことを「人」を見て思いました。

 街を歩くと、堤防沿いの桜並木や、小さいトンネルの通学路、行きつけの定食屋など思い出の地があり、この景色もいずれなくなることを感じました。全て忘れてしまうから。景色がなくなり、人々の頭からもなくなり、存在が消える。街の景色も人も何もかも。何かわからぬ淀んだ重さが心の中にありました。事実として全てのものはいつか死んでしまうことを知っています。身近な人が亡くなったこともあります。けれど、仕方ないとは割り切れない。愛したものほど。

 話は変わるようですが、最近はSNS等が普及し昔よりも事実を述べなければいけない社会ができているように思います。それはすごくつまらないことです。わたしは決して嘘をつけと言っているわけではなく、嘘が悪いことも知っているし、人はいつか死んでしまうことも知っている。それでも事実や正しさのみで構成された世界はなんとも滑稽で、優しさのない世界です。

 嘘は優しさと卑しさの半々です。その拮抗が崩れることはないと思います。何をもって正しいのか真実なのか、考えることなく回る世界がどうしても無生物に思えて、今は「死」について考えることができません。嘘と死は何かすごく似たものを感じます。そんなことを考えて東京行きの電車に乗っています。

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