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制限、自由、工夫

 天気雨が去ると、また蝉の声が聞こえてきた。「雨止んだぜ」と雨宿りをしていた子供達は、片手に虫取り網、もう片方にゲーム機。自分の子供の頃はバットにグローブだったなと思った時、ここは東京だと思い出した。公園にはデカデカと、球技禁止の文字。可哀想だなと思いながらも、彼らの想像力にかかれば、そんなことは何ら関係のないことなんだろうなと思った。

 最近子供の関わる機会が増えている。子供嫌いだった(苦手だった)自分が、と考えると驚くべきことである。彼らは本当に自由で、泣いたり、笑ったり心がコロコロ動いているんだろうなと思う。世の常識が全く侵していない範囲で、法律などないように笑っている。そんな彼らをみて、自分も過去に思い馳せる。

 スーッと奥の奥の方に手探りに潜っていくと、靄がかかっている。明確には思い出せず、どんなことがあったかあまり覚えていない。記憶障害かと疑うほど、思い出が崩れ落ちていくのが見えた。とても大切なものな気がする。写真や映像残っているものが実家にはきっとある。そろそろ実家に帰らないとな。父も母も若くない。当然だけど自分と同じだけ歳をとったのだから。ちなみに私のひいばあちゃんはまだ生きておりまして、齢103歳(102歳?)。まだ畑仕事をしている。刻まれた皺が苦労や幸せを語っている。コロナ禍もあって会えていなかった。会いに行かねば。

 時代は回る。人は死に、そして生まれる。新しい命に目を向けること。彼らの幸せを願うこと。初めて人のための幸せを願ったかもしれない。戦争が起きないように、彼らが悲しまない世の中にするために。

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