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愛の行先


 人々はまたラブソングを聴いている。愛する人と共にいる幸せ、出会い、別れ。私はそれをすごく嘘くさいなと思った。恋愛というものに希望を持つことは至極当然のことなのだが、一方それは、人間の醜さが顕著に現れてしまうものでもある。そのような醜さや汚さがが沈澱し、綺麗な上澄みだけを啜るようなものは存在しない。しかし世に溢れる無数のラブソングはそれだと思った。今までラブソングを好きになれなかったのは、そういった理由がある気がした。

 終わりと始まり。それは物事を考える上で、私が常に大切にしていることである。しかしこの恋愛ということにおいて、そのような一つの節目で物事を考えるのはリアリティがないなと感じた。とても長い道のりのその途中途中で、本当にこの道が正しいのかを考える。その瞬間、その瞬間こそがリアルだと思った。ハッピーエンドでもバッドエンドでもない。しかし、その先に待つ未来を想像してしまう瞬間。愛の行先(ゆくさき)を考える瞬間。その先に何が待つのかは薄々勘づいているかもしれない。しかし続く生活。怠惰な日々。そうして迎えた寒い夜。そしてまた眠り忘れる。それは忘れてしまったのか、忘れようとしたのか。

 私はこの曲に何を感じて欲しいのか。それは今でも少しわからないでいる。伝えたいというより、嘘をつきたくなかったのかもしれない。人々の生活は、綺麗なことばかりではない。これから苦しいことも楽しいことも数えられないほど経験する。その中で一瞬だけでもこの曲を聴いて、自分自身を見つめ直して欲しい。それはきっと全て忘れてしまうけれど、その一瞬が愛の行先を教えてくれると信じています。

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