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現世は助手席の車窓から

わたしは自分の手足をつかっての移動、つまり歩くことや車の運転を縁遠く感じている。
歩くことはとにかく億劫で仕方ない。それはもう暑い、寒い、雨というような外的要因は一切関係なく、歩くことそれ自体が億劫なのだ。
徒歩1,2分のスーパーへ行くことすら相当気合いを入れないとできない。引越しをするときも駅歩5分以上の物件は候補に上がらない。

何万年も前の大昔か、はたまた地球以外の惑星にいたときか…大きなシャボン玉のような空飛ぶ乗りものに乗ったり、瞬間テレポートしたりした経験があるからでは?と思うくらい、なんでわざわざ歩かなきゃいけないんだろうと感じてしまう。


車の運転も最近めっきりしていない。
家の車が車高が高い大型、且つ左ハンドルになったことで難易度が格段に上がってしまった。
それでも最初は「運転免許試験場へ自家用車を持ち込んで練習できる」と聞き、家族に現地まで運転してもらって練習したくらい”運転欲”はあった。
1時間みっちり練習して最後に駐車場に停めてみようと試験気分でチャレンジした。
よし!と窓の外を見ると、並んだ二台分の駐車枠のちょうど真ん中に停まっていて、これはもう手に負えない乗りものなんだと悟りを開いた。

そもそも旅先で借りたコンパクトカーでさえ運転していると、”誰かが運転してくれている気分”になりやすかった。
「いま自分で運転しているんだ!」と常に点滅させるように意識しておかないと、すぐに曖昧になってしまう。
数々の前世で御所車や馬車に乗ってばかりだったんですよと言われたら納得がいくくらいだ。

車から景色を眺めることは大好きで、夜景がきれいな首都高など華やかな道だけでなく、通りすがりでもう二度と走ることのない住宅街の道でも、どこでも楽しい。
(玄関先の鉢植えステキだな)とか(高層マンションてスズメバチの巣みたいだな)とか、ぼんやり考えながら助手席にはずっと乗っていられる。

そして、もう20年くらい乗り続けているので目と知識が肥えた”助手席のプロ”だと自負している。
周りのドライバーの腕前の見立てや都内の道路の知識が蓄積されている、と思う。
「前の車ヘタだね…こわいから追い越す?」とか「混んでるから旧山手から抜ける?」とか言う。

幸い「面倒だ」という言葉を聞いたことがないくらい、家族はアクティブで運転を含め移動への労力をまったく惜しまない。
「〇〇(千葉にある車で片道1時間半かかるお店)のカレー食べたいね」
と言っても、
「おぉ、いいね!行こっか」と近所のコンビニくらいの感覚で答えてくれる。ありがたい。

出不精の車移動好きは変わらないから、外出は家族の運転にお世話になるスタイルが続くだろう。
これからも馬車に乗る姫のように、でもプロとして、助手席から街を眺めて出掛けてゆく。


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莉琴(りこと)
読んでくださる方がいらっしゃることで執筆が続けられています✨スキをこころの栄養、応援を励みにしつつ、引き続き活動していきます😊