見出し画像

「入院したい」じゃなくて「入院しない」だった。お母さんごめん

(2024.10月)


母の死期が迫っている

9月に入り、母の容体が一変した。
食欲がなくなり、意識が朦朧とする。

時々、天国にいる父や祖母に会って来たと言う。

そして、よく涙が出る。

寝てばかりいて、起きている時間は以下の通りだ。

朝1〜2時間
昼1〜2時間
夜1〜2時間

それ以外、ずっと寝ている

トイレも行けなくなって、ベッドの上でオムツ交換になった。

そんな中、母の友人や職場関係(母は保育園の園長先生を約35年間やっていました)の人たちが、お見舞いに来てくれた時は、車椅子に座って、笑顔も見られた。

「久保さんには、仕事で私が重大なミスをした時、一緒に親御さんに謝りに行ってくれて、親の気持ちを汲みつつも、保育園の立場もしっかりと話をしてくれて、とても感謝している」

「障がいのあるお子さんを預かるという選択を迫られた時、素早く受け入れを決断し、段取りを進めてくれた。芯の通った保育の姿勢に感激した」

などと、母の思い出を語ってくれる。

私は娘として母を誇りに思った。

そんな9月を過ごしていたが、10月に入り、またもや容体が急変した。

その日の朝、泊まり担当の息子から「おばあちゃんの熱が39.6℃もある」とラインが入った。

私は友人宅に忘れたBlu-rayを取りに行く途中だったが、Uターンして施設に駆けつけた。

往診の先生に来てもらって、PCR検査をしたら陰性だったので、これは、体内の何かが起因して炎症が起こっている。
ただ事ではないから大きな病院でしっかり検査してもらったほうがいい。
抗生剤も強いものになる可能性が高いから、施設ではなく入院したほうが良いだろう。

妹は、「極力入院はさせたくない」と言い張ったが、一度診てもらったほうがいいと判断し、母が持病のパーキンソン病や、背骨や肩関節の手術をしてもらった「市大病院」へ運んでもらった。

私たち家族は、父の肺がん、母のパーキンソン病、骨折、私の息子の腕の腫瘍や気胸、姪っ子の出産など、何かあるとここの病院にお世話になっている。

11:15に施設を出発して、11:25に病院に到着。

その後、CT、エコー、血液培養検査、MRIなどの検査を経て、14:00頃にドクターに呼ばれた。

「いろいろ検査をした結果、胆のうが腫れている以外に炎症を起こすような所見は見られなかったので、胆のうから膿を出してみたら、炎症は治るかもしれません」
すると妹は「でも膿が出なかったら同じですよね?やはり今日は、帰ります。抗生剤はポートから私たちでやります」


※ポートとは、中心静脈から薬の点滴を行うために用いる機器の一種で、皮膚の下に埋め込んで薬を投与するために使用。ポートは、薬の注入口である本体と、薬の通り道であるカテーテルで構成されていて、カテーテルは血管内に挿入され、本体は皮膚の下に埋め込まれる。点滴をするときは、皮膚の上からセプタムに針を刺す。
ポートがあると、点滴のたびに血管に針を刺さなくていいというメリットがある。

前回の入院の時、ポートの処置をしてもらっていたので、栄養や投薬などの点滴を、このポートが大活躍してくれていたのだ。


先生は、少し驚いたようだったが、抗生剤が施設で出来るなら、入院しなくても良いけど、もし胆のうに膿が溜まっているなら、抗生剤を止めたらまた炎症が起こるという説明だった。

妹は看護師でたくさんの症例を診ているから慣れているかもしれないが、私は何もかもが初めての出来事で
先生の言う通り、入院したほうが安心できると思った。

いくら、「病院で管に繋がれて死んでゆくのはかわいそうだ」と普段は思っていたとしても、いざとなったら、病院に頼りたいと思ってしまうのだった。


助かるなら、藁をもすがる思いだ。


そのやりとりを聞いていた母が、小さな蚊の鳴くような声でポツリと言った。

「入院したい」

「え?お母さん、なんて言ったの?」

「入院したい」

爆!えーーー、妹がなんとか入院せずに帰れる方向で話ししていたのに、先生も少しクスッと笑った気がした。

と言うわけで、最後は母の決断で入院が決まった。

さぁそこからまた、検査検査で針を刺されたり管に繋がれたり、昨日とは違う角度からMRI撮影したりと、さまざまな角度からの検査や治療が始まった。

まずは、強めの抗生剤を点滴して体内の炎症を抑える。母の熱は一気に下がった。

マジですごい。この抗生剤がなかったら、きっと今頃死んでたな。

でも、母は生きている。

そして、胆のうから胆汁を出すために管を繋ぐ。胆のうから膿はあまり出てこなかった。

入院3日目の朝である。

血液培養の結果が出て、血液感染が陽性になった。

命綱だったポートから感染したと思われるとのことで、炎症の原因が特定された。

血液感染だった。1番最悪のパターンだ。と妹は言った。

ポートはブロックして、血管からの点滴に切り替わった。

母の血管は、もともととても細く点滴の針を刺すのに、看護師さんが2人がかりで苦戦している。

腕がダメだったから、今度は脚から取ろうとするが、

「あー、逆流した!」と言い、一旦退散。

とうとう針刺し専門のドクターが部屋に派遣されて来た。

その人はさすが、母のなけなしの血管を探し当てて、自由自在に針先を操りプスっと刺す。命中!

私は心の中で「ビンゴー」と叫んだ。

そんな朝を過ごしていたら、今度はMRIを撮影するため、ストレッチャーに乗せられて運ばれていった。

あんなに気丈で自分の意思をはっきり示す彼女だが、もう、文句を言う気力も残っていないようだ。

今は、どこの病院でも当たり前なのかもしれないが、「今日の看護担当◯◯です」や、「整形の◯◯です」など、部屋に入る時に必ず名乗ってくださるので、こちらも安心して話を聞いたり、処置を受けたりすることができる。

時代はいい方向に変わっていっている気がする。


〜〜〜〜

入院の翌日、妹からラインが入った。
母から、「私は入院したいって言ったのではなく、入院しないって言ったんだよ」と聞いたらしい。
お母さん、ごめん。「入院したい」って聞こえた。

❤︎LOVE&MIND&SOUL&MUSIC♬

いいなと思ったら応援しよう!