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ものをよく見るということ

祖母は書道をたしなむ人で、私は昔から祖母の家に行くたびに「せっかくだからなにか書いたらどう?」と言われ、心ゆくままに、自由に半紙に筆をすべらせていた。時におおきく大胆に、時にこまかく繊細に。

ここ最近はその機会もなかなかなく、しばらく書道から離れてしまっていたのだか、毎週楽しみに観ている大河ドラマ『光る君へ』で紫式部(を演じている吉高由里子さん)がさらさらと筆を走らせる美しい描写を観るたびに書きたい欲が募っていった。そして今日、ついに念願叶い祖母宅にて書道をすることができたのだ!

祖母宅にて。かな文字が書きたくて古今集から選んだ。
「ほのぼのと あかしの浦の 朝霧に 島隠れゆく舟をしぞ思ふ」(詠み人知らず)


平安時代の美しいかな文字に憧れるけれど、それを書く以前に、まず解読するのがむずかしい。かな文字には元となる漢字が存在するので、その原型の漢字はなにかを読み解くのがコツではあるが、なにしろその姿形としての美しさが先にあるので、私はいつも読み解くことを忘れてうっとりと見入ってしまう。ああそうだ、これは文字だったのかと我にかえるまで。

いざ書きはじめようとするも、それはお手本を見て自分の目の前にある真っ白な(白色でない紙の場合もあるけれど)半紙に写し取ることであって、そもそも文字を読み解けない私には、これがなかなかむずかしい。写し取ったあと、なにかが確実に違うのに、それがなにかが分からない時もあり、そんな時は一通り書き終わったあとに祖母に添削してもらう。たとえば「わ」というかな文字は元となる漢字が「和」なので、筆の入りはまっすぐではなくて少し斜めに入るとか、「を」は最後の一角をやや右寄りに書くと格好がいいとか。言われてみればなるほど、ほんとうだと納得する。

「ものをよく見ることが一番大事だよ。それは文字だけじゃなくて、絵を見るときもそう。細かいところまでよーく見て、ここは線が細いな、とか、ここはこの方向からこう曲がっていて、たとえば木を見るときにこの枝はこの部分から出ているんだなとか。そこにあるものをよーく見る。どこをどう見たらいいかが分かると、書く文字も描く絵もぐんと良くなるよ。」
(祖母は書道だけでなく墨絵も描く)

祖母がさらりと放った言葉がとても大切なことなことのような気がして、その言葉を逃したくなくて全力で耳を傾ける。それって、人生においても大切なのではと思うのだ。この世界にはよく見ないと気づけないことのなんと多いことか。道端に咲く可憐な花、夜空に浮かぶ月の満ち欠け、窓から差し込む光の揺れ。まわりをよく見ると、美しいものがあちらこちらに溢れている。それは生きるうえでこの上なく素晴らしいことで、生きる醍醐味そのものではないだろうか。

私は祖母の言葉の通り、いろいろなものに対して「よく見る」ことを大切にしたい。そうしてこの世界の美しさにたくさん気づけるようになれたら、なんて幸せなことだろう。

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