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海外の性教育のいまー性の「抑圧」と「解放」の間で

日本では、オープンで実践的な姿勢が評価されることの多い海外の性教育。しかし、オープンかつ具体的に性を教える「解放的性教育」が、いまドイツの性教育をめぐる議論の中で再び大きな注目を浴びています。

2003年まで続いていた「実験」

きっかけは2016年、ゲッティンゲン大学デモクラシー研究センターの研究者、テレサ・ネントヴィヒが教授資格論文執筆のために調査した、ヘルムート・ケントラーの生涯と「ケントラー実験」について書いた報告書でした。

ケントラーは、解放的性教育を提唱したドイツの性科学・教育学の最高権威で、今でもドイツの性教育にもっとも大きな影響を与えています。

ケントラー実験とは、「小児性愛者はよき父親になり得る」というケントラーの学説の基づき、ケントラーがベルリン市と共同で実施した、少年院にいる13歳から15歳の男の子を小児男性同性愛者の里子に出すという、おぞましいプロジェクトでした。ケントラーの著書によれば、実験は1969年に始まり、1970年代に終わったことになっていました。

しかし、報告書を目にした「実験の被害者」を名乗るマルコという男性から、ネントヴィヒが連絡を受けたことで話は急展開します。

ネントヴィヒは、それまでにもケントラー実験の2人の里子と接触して話を聞いていましたが、マルコの話によれば13歳の時、ベルリン在住のある小児性愛者の8番目の里子となったマルコは、21歳になった2003年までこの里親との同居を続けていた、と語ったのです。

つまり、実験についての公表があった1989年時点には、すでに時効とされたケントラー実験は、実際には2003年まで続いていたことが分かったのです。

昨年7月の米「ニューヨーカー」誌によれば、中東系の移民の家庭に生まれたマルコはまるで映画俳優のような非常に整った顔をしており、ケントラー実験の里子たちは、みなマルコと似た黒髪の美形の男性ばかりだったそうです。

告発者は大学を解雇、教授や政治家の里親も

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