クレーの金色の魚
5月、半年に及んだロックダウンが解除になり美術館を訪ねた。
ほぼ1年ぶりの美術館だった。
美術館なんて行かなくなって生きて行かれるし、もともと美術館なんて行かないと言う人もいるだろう。でも、その人にとって当たり前にできていたことがパンデミックによってできなくなり、ふたたびできるようになるというのは想像以上にうれしいものだ。
隔週で出演しているラジオ番組でそのことを話すと、「好きな絵はあるんですか?」と台本にない質問をされたので、とっさに「クレーの『金魚』という絵です」と答えた。
パーソナリティの寺島尚正さんはその絵を知らなかったようだ。でも、絵の名前は覚えていくれたようで、先日の放送では逆に「クレーの金魚には詩人の谷川俊太郎さんが詩を書いておられるようですよ」と教えてくれた。
ロックダウン明けに久しぶりに見ることのできた絵に、谷川俊太郎さんの日本語の詩があったなんて!それをパンデミックのため海外からのリモート出演が当たり前になった日本のラジオを通じて知ることになるなんて!!
パウル・クレーはスイス人の画家。オーストリア人の神秘主義思想家で教育学者のルドルフ・シュタイナーの影響を受けたことで知られている。
シュタイナー思想では、教育は子供が自由な自己決定を行う人間となることを助ける一種の芸術と見なされ「教育芸術」と呼ばれている。シュタイナー教育を実践するシュタイナー学校(Waldrof Schule)では、小学校3年生になるまでは鉛筆は持たせず蜜蝋のクレヨンで絵も文字もかかせる。音楽の授業では独特の音階をもつ笛を用い、「オイリズミー」と呼ばれる体操と組み合わせたダンスを教える。校舎も遊具もすべて木でつくられ、粘土・石・木など自然の素材だけを用いて美術の授業を行うなど、創造性や芸術性を重視した特殊な教育を行っている。
谷川俊太郎さんのクレーの金魚の詩が載っているのは、「金魚」を含むクレーの絵40点に谷川さんが14編の詩を寄せた詩画集「クレーの絵本」。ハンブルク市立美術館のクレーの金魚に寄せたのは「黄金の魚」というタイトルがついたこんな詩だ。
「黄金の魚」
おおきなさかなはおおきなくちで
ちゅうくらいのさかなをたべ
ちゅうくらいのさかなは
ちいさなさかなをたべ
ちいさなさかなは
もっとちいさな
さかなをたべ
いのちはいのちをいけにえとして
ひかりかがやく
しあわせはふしあわせをやしないとして
はなひらく
どんなよろこびのふかいうみにも
ひとつぶのなみだが
とけていないということはない
宮沢賢治の「よだかの星」を思い出す「いのちはいのちをいけにえとして ひかりかがやく」に連なるフレーズ。さいごの「どんなよろこびのふかいうみにも ひとつぶのなみだが とけていないということはない」という言葉に、読者の心は一撃される。クレーの絵を見たことがなくても、寺島さんが読み上げたこの詩の一部を読み上げるのを聞いて、ぐっと心を掴まれたのはきっと私だけではないだろう。
シュタイナー思想は、クレーをはじめとする芸術家に大きな影響を与えた一方、反ユダヤ主義と反ワクチンでも知られている。公立学校に相当する扱いを受け、世界のシュタイナー学校の9割があるドイツでは昨今、全国のシュタイナー学校が麻疹流行のホットスポットとなっているほか、教師や親がワクチンを始めとするコロナ対策に反対する運動を行うなど社会問題を生んでいる。
それでも、わたしがクレーの金魚を好きなことは変わらない。
谷川さんの詩も好きだ。
また美術館に「黄金の魚」を観に行こうと思う。
【カバー写真は2020年5月、ハンブルク市立美術館にて筆者撮影】
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