音楽家のアメリカアーティストビザ準備(最終話)
◆ ビザ取得への道のり
2024年も半年が過ぎ、夏がやってきた。
「アメリカに行きます!」と宣言してもう1年になる。
「あれ、日本にいるの?」
「いつアメリカに行くの?」
と思われていた方も多いかもしれない。
この1年、観光ビザで日本とアメリカを行ったり来たりしていたものの、なかなか現地で働く為のビザが降りないでいた。
この1年は大変なこと続きだったのだが、ようやく笑い話として話せるような心境になってきたので、今回 note に書いてみることにした。
そもそも私が申し込んでいたO1ビザ(アーティストビザ)とは…
音楽家はじめ、アメリカで活躍する某お笑い芸人やスポーツ選手の多くがアメリカで就労するために取得しているビザだ。
アメリカでアイリッシュハープの演奏をするため、私もこのビザの取得を目指していたのだ。
◆ 一体いつアメリカで演奏できる?
いつ、アメリカに渡れるのか?そう思い続けた日々だった。
ビザ申請は通常、アメリカの弁護士と二人三脚で行う。その弁護士選びを間違ってしまったらしい。最初のツメが甘かったことから、人生で1番大変とも思える日々が続くことになった。
◆ 過ぎていく日々
2023年のうちに日本を離れる予定だったので、東京で借りていたアパートは既に解約していた。交代で家族の家に泊めてもらい、この数ヶ月間生活をしていた。
渡米のスケジュールが見えず、日本の仕事を入れることが出来なかった。そしてアメリカで既に決まっていた演奏の予定もどんどん流れていく。
この状況は、なかなかもどかしかった。
◆ 書類作り
では、この1年何をしていたかというと自力でビザの書類を作っていた。
実は当初から、担当弁護士とのやり取りにずっと不信感を覚えていた。でも気のせいだと言い聞かせて契約を進めてしまったのが火種となった。
その結果、弁護士に何を質問しても適当な返事しか返ってこないのだ。
そんな中で自ら情報を調べて必要書類を何とか準備し、弁護士にカバーレターをお願いして申請してもらった。
すると2週間して、移民局から追加書類提出依頼(RFE)を受け取ってしまった。RFE自体はよくあることだが、その内容を見ると全ての項目で追加書類が必要と書いている。
この時、私は「この弁護士に任せていたらアメリカに行けなくなってしまう!」という恐怖でいっぱいになった。後から知った話によると、移民弁護士の中には、少なからず詐欺まがいの弁護士が一定数おり、私はそのような人に頼んでしまったらしい。
弁護士に頼れないなら、自分で何とかするしかない。そう思い、英語で何百ページにも及ぶ申請書類を自力で作ることにした。
それからというもの、寝食以外は書類作成に没頭する数ヶ月だった。がむしゃらに著名なアメリカ人や日本人の方々にメールを書き、追加の推薦書をもらい、最終的に11通の手紙を準備した。
誰にも会わずに作業をし、疲れ切るまで書類を作る日々で、生きた心地がしなかった。
あんなにも机に向かった日々は今までの人生でなかった。
その時はその他に解決手段を思いつかなかったのだ。
◆ 2回目の再提出依頼
数ヶ月かけて作った書類を提出。これで無理だったら、もう諦めがつく!というところまでやり切った。
しかし、その後何が起きたかというと、移民局から2回目の追加書類提出リクエスト(RFE)を受け取った。
要するに、もっとビザを受けるに相応しい人物であるという更なる追加証拠書類を提出してくださいと言うことだ。
これは予想外の結果だった。弁護士によると、2回も追加書類提出依頼が届く事例は初のアーティストビザ申請では異例らしい。
弁護士は言う。
「あなたは、意地悪な審査官に当たってしまっているようだ。他に何か追加書類を提出出来そうなら連絡して」と。
弁護士にも審査官にも恵まれず泣きっ面に蜂のような状況。弁護士から、その後の具体的な指示もなく、辟易としていた。
これは単なる不運なのだろうか。
「もう無理かもしれない…」そう思った。
◆ 小さな光
しかし、壁にぶち当たったことで解決の糸口が見つかることになる。別の弁護士に意見をもらうことにしたのだ。友人に頼み込んで、評判の良いアメリカ人弁護士を2人紹介してもらった。
いざ弁護士と話してみると、2人とも感動するほど丁寧な対応の信頼できる人柄の方だった。そして、この時にビザ申請途中でも担当弁護士を変えられることを初めて知ったのだ!
「あなたは確実にアーティストビザの審査項目を満たしているよ。私で良ければ引き受けるよ」2人ともが口を揃えてそう言ってくれたことで、前向きな気持ちになれた。この数ヶ月で初めてホッとした瞬間だった。
◆ 新たな弁護士との二人三脚
その後、すぐに弁護士を変えることにした。
追加で費用がかかってしまったが、仕方ない。
これは最も良い選択だったように思う。
信頼できる弁護士に出会い、この1年間の悩みが消えていった。ストレスで慢性の喘息や蕁麻疹に悩まされていたのも少しずつ消えていき、光が見え始めた。
新しい弁護士は一ヶ月ほどで書類を仕上げてくれ、提出。そして、結果を知らせるメールには「承認」の文字が書かれていた。
その文字を見て、嬉しいのはもちろんだが、
それ以上に「ここまで本当に長かった。大変だった、疲れた。」というなんとも言えない感情が込み上げてきた。まだ実感はないが、その後の面接を無事に終えて、今回こそは渡米できそうだ。
◆ 最後に
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。色々なことが重なり、アメリカへ行くためのO1ビザの取得は思っていた何倍も大変になってしまいました。
浅はかな弁護士選びがこのような苦労を生んでしまい、家族まで巻き込んでしまったことに申し訳なさを感じています。小さな違和感を見逃すべきではなかったですね。
この申請過程で私のプライドや過去に築いたものはズタズタになり、消え去ったように感じています。学びが多い1年でもありました。
ゼロになったようなまっさらな状態で、今はただ自分が周りの人の役に立てることをしていきたいと思っています。
その手段が音楽だと今は思っているので、アメリカで精一杯勝負していきたいです。
ここまで来られたのは、こんな状況になってもサポートしてくれた夫や家族の存在があったからです。友人や音楽関係の皆様にも沢山助けられました。
この1年を思い返すと、これまでの人生でこんなに沢山の人に頼ったり、助けを求めたことは無かったと思います。
でもこの出来事がきっかけで、優しさは周りに溢れていると気づくことが出来ました。その優しさを返していけるように過ごしていきたいと思います。