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15歳のひとり旅インド*最終日

今日はインド最終日。
疲れていたのとロングフライトが待っていたので、体調と相談して午前中の予定をキャンセル。
ゆっくりとお話ししながらご飯を食べたり、着物を着せてあげられたり、サリーを着せてもらえたりしてよかった。時間に余裕を持つ日があるのも大事だと思わされる。

お世話になった友達に浴衣を着せてあげた!


サリーはとても着るのが大変な上に、布が何メートルもあるので重いそうだ。今回はレースのような薄い布で、簡単な着付けにしてもらったが、それでも15分はかかった。浴衣は3分あれば着れるので、そんなサリーを毎日着ているインドの女性は本当にすごい。

女の子と分かった時点で中絶させるような人も一昔前には珍しくなかったインド。嫁入りの時に、相手の男性の家庭に見合うような贈り物をするため、一家で借金をすることも多い。下手なものを贈ると、ずっと嫌味のようにひきづられるそうだ。だから、女の子がいるというだけで家庭に負担ができてしまう、という伝統がずっと続いていた。

今では性別による中絶はもちろん法律で禁止されているし、都市部では女性も活躍している。それでも『結婚できないから東大に行くな』の前に、『女の子だから大学に行くな』という考えがあったり、『共働きでも夫の3倍も妻が家事をしている』の以前に、『夫が台所に入るなどあり得ない』と当たり前に言われていることも感じ取った。裕福な家庭では、ヘルパーさんを雇って洗濯や掃除、皿洗いなどを頼んでいるが、それでも料理は基本はお母さんがする。そしてその領域が自分だけのものであることを、どのお母さんも誇りに思っている。

それは小さい頃から、自分の母親にずっと言われ続けてきたからではないか。『あなたは美味しいご飯を作って、精一杯旦那さんを支えるのよ』と。状況が好きなら全然いいと思う。当人たちが幸せであることに対しても、ジェンダー平等概念を押し付ける必要はない。私だって料理は自分でしたいと思うし。でも、話し合ってそれを決めたのではなく、前提としてあるものを受け入れて、それ以外の選択を知らないことは残念だ。
こうやって自分の自由で広い世界を見に行ける今があることに感謝したい。


最後のイベントして、大きな総合病院で小児科医として働くドクターを訪ねた。
子どもたちのメンタルヘルスケアの一環で、チェスやウノをそれぞれの病室を訪れて遊んでいて、私もその輪に混ざらせてもらった。日本では絶対入れなそうなNICUも案内してもらえて、ちょうど救急搬送されて来たばかりの子がいて衝撃だった。コロナの時は、対応がものすごく大変だったそうだ。

ドクターの娘さん(私と同い年)が学校から来たので、カフェで休んでから移動することにした。ちゃんと豆を引いているお店で、カフェラテ、ホットココアそれぞれ400円弱。病院価格なのか…?この国では、安全な水を飲んだりだとか、バランスの良い食事をとるとか、免疫力を高めるような自己防衛の意識が低い。悲しい想像だが、病院に来れる人は医療費が払える=健康への意識が高い=経済的に余裕のある人だけなのかもしれない…



真夜中のフライトだったので、空港の近くで夜ごはんをいただこうと提案してくださった。
とても美味しいコンチネンタルのホテルレストランに案内していただき、キヌアのサラダとマルガリータピッツァとビーツのスムージーでビタミンをたくさん補給した。すごく贅沢なディナーになり、バンガロールのごはんやスイーツを勧められるがままにちょっとずついただき、とてもお腹いっぱいになった。ドクターの娘さんとはたくさんのお話をできて、日本の大学を考えていること、インドのカリキュラムからIBの学校に転校したことなどを聞いた。


バンガロール空港は、自然と煌びやかが融合した圧倒的な美しさだった。
水の音に癒されながら、搭乗を待った。今、ここの文章はもう日本の領海(少なくともマップを見る限り排他的経済水域だと思う)で書いている。

16日間、体感はとても長かった。人は新しい刺激が多い環境ほど、時間を長く感じるのだという。子どもはまだ知らないことが多いから、一年の思い出がたくさんあるが、大人になると自分の世界に慣れてきて、すぐに去って行ってしまうと何かの文章で読んだ。
私は、同じ時間が皆に与えられているのならば、それをできる限りたくさんの思い出で埋め尽くしたい。今しかできないことを全部やってみて、いつ動けなくなっても後悔しないように。そして、新しい世界に足を踏み入れ、進んでいくことは、終わりなんて探さずにどこまでも続く道の途中だと思っていたい。

ガンディの有名な一言を私なりに解釈してみた。
日本での生活、久しぶりに行くのが本当に楽しみな学校、家族や友達。そのすべてにワクワクしながら、飛行機を降りたいと思う。

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