南アフリカクルーガー国立公園サファリガイド 太田ゆかさん(平30交文)
「動物が大好き。」
その一心で、日本から遠く離れた南アフリカでサファリガイドとして働く卒業生がいる。
日本人で唯一、女性のサファリガイドとしてクルーガー国立公園で働く太田ゆかさんだ。
日本での慣れ親しんだ生活を捨て、大自然のサバンナでポツンと佇む一軒家での生活を送ってきた太田さんの目には、かつての大学生活やこれからのキャリアはどのように映っているのだろうか。お話を伺う中で、太田さんが変わらずに持ち続けてきた強い意志に触れることができた。
―「人と自然を繋ぐ」お仕事―
平成30年観光学部交流文化学科を卒業後、南アフリカで環境保全活動を行うボランティア団体の専属サファリガイドとして働き始めた太田さん。一緒に働くメンバーは、動物が生息する環境を保護するために世界中から集まった人々で、研究職として働く人が多かったという。そのチームで太田さんは、世界中から訪れる観光客に対して、動物が生息する環境や動物自体への理解を深めてもらうことで、世界全体の環境保護への関心を高める役割を担ってきた。
「私たち人間も自然界の一員であることをサファリを通して感じ、今向き合わなくてはならない問題を知ってもらいたい。」と太田さんは言う。
サファリガイドの仕事を間接的な環境保護としたうえで太田さんは、直接的に動物たちを保護する活動も個人的に取り組んできた。それは、主に密猟者からの保護や現地の貧困層による罠からの保護といった人間の手による被害の排除である。太田さんは、ツノ目的の密猟者によって命を落とすサイを少しでも減らすためにやむを得ずサイのツノを事前に削るという活動や、野生動物たちの生活の場に仕掛けられる罠を見つけ次第回収する活動などを繰り返し行ってきた。しかし高収入が得られる密猟は後を絶たず、人間による動物への被害はなくならない。
「現地の人々の教育問題や食糧問題が動物たちの問題へつながっている。こうした根本の問題の解決が動物たちの保護につながる。」と言う太田さんは、ボランティア団体で現地の子供たちへ英語を教える活動も行っていた。
動物のために自身ができることを常に考え続けた太田さんの活動は多岐にわたるが、同時にそれは動物の環境を保護する難しさを表している。「罠にかかったまま干からびた動物を目の当たりにした時、申し訳なさや難しさを感じた。」と太田さんは言う。動物が好きだからこそ、そうした環境に身を置くという覚悟は凄まじさを感じざるを得ない。
―南アフリカへ踏み出す一歩―
サファリガイドとして働くうえで、観光客に様々な知識を教えながらも太田さん自身日々勉強になることが多いという。サファリガイドで紹介する動物たちは日本の動物園と違って、ガイドが野生の動物の行動を読み居場所を見つけて出会うことができる一期一会の動物たちである。そして、そうした動物たちの行動習性をガイドは日々の仕事の中から得ている。サファリガイドが観光客に提供する体験価値の数々は日々の努力の賜物だったのだ。
しかし、太田さんは初めからサファリガイドになるべくして大学生活を送っていたわけではない。サファリガイドとしてのキャリアを踏み出す前にも、様々な障害を乗り越えていた。「動物のために働きたいと思っていたけど、理系科目が苦手で獣医への道は断念。しかし、それ以外でどうしたら動物のためになる仕事につながるのかわからなかった。」と太田さんは大学入学当初を振り返る。
大きな転機となったのは、大学2年生の時に参加したボツワナでのボランティアだった。当時、干ばつが酷かったボツワナは、水を求めた象が貴重なバオバブの木を次々と食べてしまうという状況が続いており、その保護活動をするボランティアを募集していた。バオバブの木を守るボランティアであったが、アフリカという自然あふれる地への憧れがあり思い切って参加したという。そして、偶然にも現地でサファリガイドを仕事にしている人に会い、その仕事の存在を知った。またその人から、サファリガイドになるための資格や知識を網羅的に習得できるサファリガイド訓練校の存在を教えてもらい、太田さんは大学3年生の時点で休学し、その訓練校に一年間入学することとなる。
一年間、サバンナの中心でテント生活をしながら最初の半年間は座学や教習でサファリガイドになるために必要な知識や技術を学び、残りの半年で実際にサファリガイドの仕事を実践した。晴れて卒業する頃には太田さんは南アフリカ政府公認のガイド資格を有していた。
しかし、「資格を取ることと実際に働く場を得ることは全く別物だった。」と太田さんは当時を振り返る。資格を有していても、雇用率の低い南アフリカの人にとって女性のアジア人を雇うというハードルは想像以上に高かったのだ。
面接すらもさせてもらえない門前払いの日々が続き、一時日本に帰国して日本の就職活動も同時並行していたという。しかし、そのタイミングで現地のボランティア団体から声がかかり、完全に南アフリカへ移住し働くことを決心したという。
サファリガイドというスタートラインに立つまでに長い道のりがあり、その道のりの一歩目にはまだ右も左もわからない私たちと同じ学生だった頃の太田さんがいたのだった。意志あるところに道は開けるという言葉を学生のうちに体現した太田さんは、これからもサファリガイドの可能性を広げる存在であり続けるだろう。
―寝る時ライオンの遠吠えが聞こえ、朝は家の前で象に会える―
サファリガイドになる前もなった後も、様々な問題に立ち向かえる太田さんの原動力とは何だろうか。太田さんはその問に対して一言に「サバンナに住めること」と言い切った。日本に住み慣れている人であれば誰もが利便性に乏しいと感じる南アフリカを太田さんは「大好きな動物たちに囲まれた夢の世界」と表現する。
しかし、住み慣れた故郷を離れ、新しい環境で言語も文化も異なる人々と関係を一から築き上げていくことに抵抗はなかったのだろうか。取材中も終始笑顔ではきはきと受け答えする太田さんは意外にも、「実際、私は石橋を叩いて渡るタイプで、初対面の人と会うことやまだ慣れていない環境に飛び込むことは未だにすごく憂鬱になる。」と言う。「でも、それ以上に動物を守りたい気持ちやサバンナに住むことの喜びが勝り、頑張れる。」と続けて答えた。
―これからのサファリガイドとしての道のり―
しかし、コロナウイルスの影響によりサファリガイドに関連する観光客向けの活動は長期間の中止を余儀なくされ、所属するボランティア団体も大きな打撃を受けた。結果、太田さん含む多くのメンバーが職を失ってしまった。仲間は次々と帰国していったが、太田さんは現地に残りバーチャルサファリを手掛ける動画制作会社で自身の能力を活かすことを選んだ。バーチャルサファリとは、リアルタイムでサバンナの様子を通常のガイドのように配信するサービスである。世界で唯一の日本人女性サファリガイドとして働く太田さんは、「私が日本人と南アフリカを繋げる存在になりたい。」と強い使命感に燃えている。ツアーの要望を受注してから一つ一つツアー内容を決定していく従来のオーダーメイド型だけではなく、一定の内容のパックツアーを日本人も含めより多くの人に届けられるようにしていきたいという。
おすすめのツアーはテントすら使わず寝袋とマットだけを持ち歩いてサバンナを4日間過ごすトレイルツアーだという。「夜は満点の星空を見て、すぐそばに動物の息遣いを感じる生活を送れば、人間が本来こうした生態系の一部であったことが本能的に感じられるはず。」と太田さんは熱く語る。「今、日本に住む人の身の回りには物があふれているが、人間が生きる上で本当に必要なものは結構少ない。」と太田さんはサバンナと日本の生活を比較した。
人との繋がりや豊かさの定義が曖昧になった現代。そうした日々に生きる私たちは、星空の下、今一度生態系規模で人間のつながりというものを考え直しても良いかもしれない。その際は是非、南アフリカで檻や柵もない自由なサバンナを生きる動物たちに、太田さんの心強いガイドで会いに行きたい。そしてガイドが終わる頃には、豊かさや快適さといった檻にいた自分に気づくと、太田さんの生き方を見ると自然と思える。