選挙ってゲームバランス悪くないですか
衆議院議員選挙が終わりましたね。開票速報をなんとなく見ながら、せっかくだから常々思っていることを書き残しておこうと思い筆を執りました。
選挙のたびに同じ話をしている気がします。気軽に読んでくださると幸いです。
投票に行くメリットが少ない
1票の価値が低い
衆議院議員選挙は小選挙区比例代表並立制です。小選挙区では289人の候補が選ばれます。大雑把に計算すると
1億2千万人÷300人=40万人
40万人×投票率50%=20万票
20万票の争いで1位の候補者が当選します。さて、自分が投票に行ったことで選挙の結果が変わる場合とはどのような場合でしょうか。次の2つのケースが考えられます。
自分の1票によって候補者が1票差で当選する
自分の1票によって候補者の得票数が同率1位となる
2人の候補が拮抗していて自分以外の投票者は2分の1の確率でどちらかに投票するとします。このとき20万票がきれいに10万票ずつ分かれる確率は
(20万 C 10万)÷(2の20万乗)
で計算できます。自信がないですが0.2%くらいでしょうか。
実際には候補者の当選しやすさは同様に確からしくないため、自分の1票で選挙結果が変わる確率はさらに低くなります。
自分の行動が勝敗に結び付きにくいゲームは「運ゲー」と呼ばれ忌避される傾向にあります。
現状、選挙は運ゲーに見えます。
一方で、投票には候補者を当選させる以外にも様々な価値があります。
・自分と同世代の得票数が高くなると自分と同世代の候補者向けの政策が実行される可能性が高くなる(かもしれない)
・政党交付金は選挙の得票率をもとに計算されるので、自分が投票した政党の助成金の金額が高くなる
どちらも微々たる差かもしれませんが、当選者が変わるという状況以上には意味があると思われます。
公約の不履行に対する罰則規定がない
あったらごめんなさい。
様々な争点を比較して自分が一番当選させたい候補者を決めたとしましょう。もしくは自分が当選させたくない候補者が落選する可能性が最も高い投票先でもよいですが、とにかく投票先を決めて、結果として自分の思い通りの選挙結果を得られたとしましょう。
さて、候補者が掲げた公約は守られるのでしょうか。
もちろん、公約が守られない場合に次の選挙で再選を果たす可能性は低くなります。
しかし、次の選挙に負けていただくのは当然として、自分の1票によって選ばれた候補者が任期の間は好き勝手しているのを指をくわえて見ているしかないというのはどうにかならないかと思います。
現状では実現性が低い公約を掲げて選挙を戦う戦略が有効になってしまい、ゲームバランスが悪いように思います。
投票に行くべきか
投票率が下がるといいことあるのか
自分の1票の価値が異様に低いことは前段で述べたとおりですが、よくこんな意見を耳にします。
「自分の1票で結果が変わらないという人が増えると結果として選挙で自分に有利な状況を作りたいという人に有利になる」
まあ、言っていることは正しいんじゃないでしょうか。ただし、自分が投票に行くか行かないかと他人が投票に行くか行かないかは独立な事象なので自分の1票の価値は相変わらず低いです。
さて、投票率が下がると自分の1票の価値は上がるのでしょうか。
先の計算について、1票の価値は投票数の2分の1乗に反比例します。すなわち投票数が4分の1になると自分の1票の価値は2倍になります。
つまり自分以外の投票数が少なければ少ないほど自分の1票の価値は高まります。1票の格差の問題はたびたび議論の的になっています。3倍超えたら違憲状態でしたっけ?
しかし、投票率が下がるときには様々な性質の人が一律に投票確率を下げるわけではなく、実際には浮動票から減っていくと考えられるため、投票率が下がるとかえって自分の1票によって候補者が変わる確率は下がると考えられます。つまり無党派層の皆様におかれましては投票率が下がることのメリットはうすいと言えます。
つまり投票に行くメリットが少ないと呼びかけるような記事を書くことはデメリットのほうが大きいわけです。
投票とは文化である
毎回不満ばかりの投票システムですが、毎回欠かさず投票には赴いています。今日も地元の中学校に足を運んできました。忙しいときは期日前投票もできますしね。
投票しようと思ったら結構簡単に投票できるわけです。
結局、投票とはメリットデメリットを考えて行うものではなく、何となく行くものなのではないかと思っています。
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