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Portal Aperture Scienceの歴史(1)

はじめに

注意:「Portal」「Portal2」をまだプレイしていない方はブラウザバックしてください。重大なネタバレを含んでいます。

皆さんご存じ名作パズルゲーム「Portal」とその続編である「Portal2」。その斬新なゲームシステムと新感覚パズルの魅力は一度プレイしたことがある人ならもう知っているはず。ただ、このゲームにはめちゃくちゃよく作りこまれたストーリーがある(おもにPortal2)のにもかかわらず、あまりそれらに触れられていないような気がしたので、今回はHalf-Life Wiki のAperture Science の項目を訳しつつ、そのストーリーの魅力にも触れていただきたいと思います。

Cave Johnson 経営時代

時は1940年代後半、Cave Johnson氏によってAperture Fixtures という会社が設立されました。当時はシャワーカーテンを製造する会社(シャワーカーテンは日本人にはあまりなじみがないかもしれませんが、ビジネスホテルとかのユニットバスの仕切りでつかわれてるあのカーテンのことです)で、Aperture Fixtures という社名は「シャワーカーテンをより衛生的に」という思いを込めつけられたらしい?(aperture という単語には風穴という意味があるので、まあそういうことなんでしょう)

1947年になって、経営者 Cave Johnson は使われなくなった岩塩坑を購入。地下4200mまで続く大きな穴で、これがゲーム本編の舞台でもあるAperture Science Enrichment Centerの建設地となります。

1956年、アイゼンハワー大統領(実在の第34代合衆国大統領)が、海軍を除くアメリカ軍へのシャワーカーテンの独占供給を認める契約を結びました。

このころから、 Aperture Science Handheld Portal Device 通称ポータルガンの開発がスタートします。当初は Aperture Science Quantum Tunneling Device と呼ばれており、ゲームに登場するポータルガンとは違い嵩張る上にポータル自体もたびたび被験者がみじん切りにされる始末でとても実用には堪えなかったようです。下の画像はクソデカポータルガンが書かれたポスター。また本編に登場する Repulsion Gel 反発ジェルもこのころにダイエットサプリとして(!?)開発されました。

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Aperture Science は当初宇宙飛行士やオリンピック選手、戦争の英雄などのいわゆる「上級国民」から被験者を募集していましたが、1968年に宇宙飛行士が立て続けに失踪したことについて追及され、その後はホームレスなどを雇って実験をしていたようです。本編主人公でプレイヤーが操るキャラクター Chell も孤児院にいて連れてこられたという内容が示唆されていましたね。

Wikiには特に記載がないのですが、Enrichment Center深部(本編チャプター「落下」後の舞台)にある張り紙によると、1961年の6月15日に封鎖されていることがわかります。

1972年にはPropulsion Gel 推進ジェルも開発され、1981年には月の石からConversion Gel 変換ジェルの開発に成功しましたが、Cave Johnson自身が月の石の毒に侵され翌年に死亡します。

今回はここまで。次回はCave Johnson 死後です。GLaDOSももうそろそろ登場します。

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