Portal Aperture Scienceの歴史(2)
前回の続き、Johnson が月の石の毒で(おそらく塵肺)亡くなった後のお話です。
Cave Johnson 死後
Cave Johnson が亡くなった後、Apertuce Science では Enrichment Center Test Application Process という、被験者に50個の質問からなるアンケートを取るという実験方式が用いられるようになりました。しかしおそらく今までの試験方法も継続して使われていたと思われます。
1986年にAperture Science は競合のBlack Mesa 社もポータル技術の開発を行っていることを知り、GlaDOSの開発に着手します。なおGLaDOSの着想自体はCave Johnsonのものであり、自身の死後Aperture Science を引き継ぐものとして開発するつもりだったようです。
1996年時点で、GLaDOS (Genetic Lifeform and Disk Operation System)の基本的な機能は完成し、開発は"Genetic Lifeform"の部分に取り掛かります。"Genetic Lifeform"というのがよくわかりませんがおそらく人間らしい部分の開発を始めた、もしくはCarolineの人格を取り込む実験を始めたということだと思われます。
ちなみに開発初期段階のGLaDOSは起動後16分の1ピコ秒で人類をせん滅しなければという思考に至るような状況でした。
1998年に、Aperture Science は輸送ファンネル、高温阻止ビーム、空中信頼性プレート、角無し安全キューブなどをリリースしました。
2000年代に入り、Aperture Science は「娘を職場に連れてくる日」(これはアメリカに実在するそうです)の初回のイベントとして、GLaDOSの起動が行われました。GLaDOSは起動後すぐに自我に目覚め、施設のコントロールを支配し科学者全員を施設内に閉じ込めほとんどを神経毒によって殺害してしまいます。しかしそのしばらく後取り付けてあった良心コアが遅れて機能したのか、その後はひたすらテストをし続けるようになりました。
なおこの事件前、テスト段階で良心コアを取り付けられたGLaDOSが実験のために猫と箱、そして「少しばかりの神経毒」を要求していました。GLaDOSはシュレーディンガーの猫の実験を実際に行い、「現実なんて存在しないこと」と「新しい猫用のお墓ができた」ことを報告しています。
GLaDOSによってほとんどの科学者が殺害されたと書きましたが、一部の人たちは生き残っており、その最後の生き残りであるDoug Rattmanという人物についても少しストーリーがあります。これについてはPortal2 公式コミックの Rab Ratで描かれていますが、統合失調症を患っているDoug RattmanはGLaDOSの監視を逃れ人事ファイルにアクセスすることに成功し、ある被験者に目を付けます。その被験者は事前調査の結果異常に忍耐力があり頑固であるために採用は却下されていましたが、彼はあえてその被験者をリストの一番上に移動して保存します。
彼女ならGLaDOSを止めることができるかもしれないという望みを託して。
その被験者の名前は Chell 。
ちなみに本編のあちこちで見かける落書きはおそらくすべてDoug Rattmanによるものです。
いやー、やたら意思の強い登場人物が実は何度でもやり直せるプレイヤー本人という設定は某地下物語でもありましたが、やっぱり面白いですね。
次回はGLaDOSの支配下のお話。