下手な文 4<雪待月>
呼び名は霜月だけじゃない。
「ゆきまつつき」という響きのなんと美しいことか。
「待つ」という言葉から、夢と希望をまず連想してしまうのは、私がお気楽人間である揺るがぬ証拠といえようか。未来の何かを「待つ」という行為は、私の中では「期待」「楽しみ」に直結する。だから「雪を待つ月」という言葉に美しい雪景色を描き、初雪を待ち焦がれる・・・という乙女チックというかファンタジックというか、何やらフワフワした気持ちになってしまうのだ。
別の方向に思考を動かしてみると、愛犬の食事前の「待て」というのは涎に直結する。これは「期待」と「我慢」が入り混じった「待つ」になる。
「待たされる」となると、意味合いは最初から180度向きを変えて不快なものに成り下がる。「過去に既に発生していたはずの何か」が未到来であるとき、「待たされた」と受動的な表現があらわれる。
未来を待つのはワクワクで、過去を待つのは不愉快。
同じ「待つ」でも意味は両極。
リルケのように、今にあるがままに今を生きると「待つ」も「待たされる」もないのだろう。来るも来ないも疑いなど抱かず、しずかにその場に根を下ろす。こんなふうに大らかに生きていきたい。