わたしの感受性だけは、失いたくない
この間、いろいろな人の、決意表明のような、スピーチを聞く会があった。その中のひとりに、とても歌が好きだと言う人がいた。
はじめて会った人だ。
でも、昔合唱団に入っていた私は、「ああ、この人、歌うな」、と思った。案の定、合唱をしている人だという。
彼女が言った。
「歌っているときは、どんなことも忘れられるんです」
私が最後にそう思ったのは、いつだろう。
いつから、昔みたいに歌わなくなったんだろう。
あの時私も感じていた、歌ってるとき、なにもかも忘れられる気持ち。
ああ、失いたくないな、と思った。
ちょっとだけ、視界がにじんだ。
わたしは、並みよりは感受性が豊かな方だと自負している。
映画だと、だいたい泣く。
よく見る方だけれど、泣かなかったのを数える方が、たぶん簡単。
目の前の人のことを考えるのも、得意だ。
この人、いつもよりも楽しそうだな、とか。
ちょっと声が落ち込んでるな、とか。
もちろん、ちょっと嫌だなと思うこともある。
感情が散らかって抱えきれないとき、たまに自分を恨む。
それでも、だいたいは、こんなわたしが好きだ。
最近、感受性の豊かな私が、だんだん離れていくのを感じていた。
美術館に行って、その余韻が何日も残ることがなくなった。
前あんなに心に刺さった歌も、聞き流してしまうことが増えた。
でも、歌が好きな彼女のその言葉は、まだ引きずっている。
身の回りには愛すべき瞬間があふれている。
あの人のツイート、朝焼けの空、ちょっと散らかったリュックの中。
それに気付ける、こういうときの私は、やっぱり好きだ。
この瞬間を、忘れたくない。
この感受性を、手放したくない。
今日はお風呂で、なつかしい曲でも歌ってみよう。
明日の私も、愛すべき瞬間を愛せる人間でありますように。