インスタント食品と咀嚼力

(注意)本記事にはサークル「オールトの雲」様頒布作品「死にたがりの亡霊」に関するちょっとしたネタバレが含まれています。作品の良さを損なうような記述にならないように心がけていますが、その点だけご了承ください。



巷にインスタント食品があふれ出してから何年が経つのだろうか。
即席めんが最初に誕生したのは1950年代の話であり、その後カップラーメンやレトルトカレー、冷凍食品が広く普及するようになり今に至る。

インスタント食品の魅力はやはり調理の所要時間の短さだろう。
お湯を入れて3分・電子レンジで5分など、加工の手間がほぼ0にもかかわらず立派な料理として成立するということで、筆者もしばしばお世話になっている。

その一方で、インスタント食品に慣れすぎることで料理の味わい方が分からなくなっているということが最近の悩みである。
簡便な既製品ばかりを食しているせいで、いざ本格的な料理を口にした際にどう評すれば良いのか分からなくなってしまった。
更に付け加えると、インスタント食品を摂取する際はひときわ早食いになってしまうこともあり、「ゆっくり味わう」という動作が上手にできなくなってしまったことに最近気づいてしまった。



上記の事象はなにも食事に限ったことではない。
娯楽や情報コンテンツの摂取においても類似の症状に陥っているという自覚が最近芽生え始めた。

SNSや動画配信サービスの隆盛により、我々は好きなコンテンツを手軽に楽しめるようになった。それ自体は当然喜ばしいことであるが、気軽に開始/終了/一時停止/再開ができることによって一つ一つの物事に対しての向き合い方が軽薄になってしまったのである。ありていに言えば、一つの作品/ストーリーへの向き合い方が昔に比べ適当になってしまった。


先日、久方ぶりに本格的な小説を拝読した。

紙媒体のものはおろか数万文字単位の作品を読むのも数年ぶりという有様であったが、ドロップアウトせずに読破することができた。

ストーリーはタイムウォーが終結し9代目への再生直後に直面した事件であり、8代目の再生を描いた本編「The Night of the Doctor」との対比で読むと非常に面白い構成になっているなと感じた。

具体的には、他人の死を通して「ドクター」の名前を捨てる再生を選ぶ8代目と自分の死を通して(?!)「ドクター」の名前を自らに課す9代目、という対比がタイムウォーという重大な事件を境目にして綺麗に描かれていたところが素晴らしいと思った。
他にも、大いなる力には大いなる責任が伴うが、使われない大いなる力ほど無意味なものはない、という点は読みながら強く感じていたところである。
重厚でシリアスな作品が好きな人には是非とも手にとっていただきたい一作である。後悔することはないと保証しよう。


さて、この話題を取り上げた理由は何か。答えは簡単で、読解が上手くできていないことを痛感したためである。
近頃「手ごろで」「分かりやすく」「短い」作品にばかり手を付けていたため、本格的で難しいテーマを取り扱った本作をどう読み解き、どう感想を言語化すれば良いのか、という点の検討に非常に時間を要したことを覚えている。さらに言えば、もっと的確な読み方ができたのではないかという思いが今も脳裏をよぎり続けている。
この点に関してはこれから上述の作品を手に取る読者諸氏に任せようと思う。

インスタントなものに頼りすぎた結果、咀嚼力が落ちてしまったことを痛感したという記事であった。作品を通して伝わるであろうテーマを全然受け取れなかったということが正直とても悔しい。読解というものが読み手に委ねられた作業でありそこに作者が介在する余地はないというのは理解しているものの、やはり発信された電波を受信するアンテナのメンテナンスを怠っていたことは反省事項として心に刻むべきだと感じた。
昨今は手軽で魅力的なコンテンツがそこかしこに溢れているのは事実でありライトなものにはそれ特有の良さがあるのはもちろんその通りである。その一方で、今後はしっかりとした読み解きが必要な作品にじっくり腰を据えて向き合うよう取り組みもしていきたいなと思った。


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