普通を数学してみた
普通がわからない。
自分が「普通」の範囲内に収まっているのか、そうでもないのか、そこがどうしてもわからないのだ。
そもそも「普通」とは何を指すのか。あまりにも抽象的で分かりにくく、検討することすらままならない。
また、「普通のこと」が全部出来る人間は普通ではないという逆説も存在する。
70%の人ができることが100種類あったとして、それが全てできてしまう人は3.2344765*10^-14%しかいないことになり、本当にごく少数の人しかいないということになる。
そこで今回は普通を定式化して、「どれくらい普通のことができているのが普通なのか」を検証しようと思う。
1. 問題の定式化
今回は、
「普通のこと」=70%の人間ができること
と定義する。
この「普通のこと」がn個あり、そのうちr個できる人の割合は以下の式で表せる。
この確率P(n,r)について、nを固定した場合にPが最大値となるrを求めることを考える。
尚、便宜上n個の「普通のこと」はそれぞれ独立の事象とする。
具体的な数字で考えよう。
「普通のこと」が2個ある(n=2)とき、
①「普通のこと」が2個できる人(r=2)
②「普通のこと」が1個できる人(r=1)
③「普通のこと」が0個できる人(r=0)
の3パターンに分かれることが分かる。
このとき、
①は0.7^2=0.49=49%
③は(1-0.7)^2=0.09=9%
という分布になることは直感的にイメージできると思う。
そして②に関しては①と③以外の人の集合ということになるので
1-(0.49+0.09)=0.42=42%
となる。
この②については2つある「普通のこと」のうち「普通のことA」か「普通のことB」のどちらかができる人の集合ということであるので、
0.7*0.3=0.21=21%:「普通のことA」ができる人の集合 と
0.7*0.3=0.21=21%:「普通のことB」ができる人の集合 の合計で
0.21+0.21=0.42=42% と考えることもできる。
この『「普通のことA」か「普通のことB」のどちらかができる人』というパターンを組み合わせで表したのがnCr(今回は2C1、ということになる)である。
この辺りは高校数学の「組み合わせ」を確認するとイメージしやすいと思う。
話を戻すと、n=2の場合は上の計算結果から、r=1の場合が確率Pの最大値であることが分かる。
2. 定式化した問題を一般的な値で解いてみる
前章でn=2の場合についての計算を解説した。
本章ではn=20までのそれぞれの場合についての計算結果を掲載する。
上のグラフがn=2からn=20においてPを最大化させるrの値について示したものである。
規則性が見えそうで見えないので、縦軸をrではなくr/n(割合)に変えて検討してみる。
r/nの値について、nの値の変化につれて値が上下しているが、一定値0.7に収束するように変化していることがわかる。
つまり、「70%の人間ができることがn個あった場合、0.7n個できるのが最も普通である」ということが分かった。
ということで普通にあこがれる諸氏におかれては、「普通はできる」と言われていることのうちの7割ができるようになることを目指してみるとよいだろう。
あー良かった良かった。長年の謎がようやく解決した。
「70%」の人間ができること
「0.7」n個できる
……あれ?
3. 値を変えてみる
※以下、ボーナストラックのようなものです。
一難去ってまた一難とはよく言ったもので、別の疑問が湧いてしまった。
「今回設定した『普通のこと』」の割合と「r/nの収束値」が一致したのは偶然なのだろうか、否、そうではなかろう。
ということで新たな命題が生まれた。
「以下の式で表されるP(n,r)が最大となる場合の(n,r)の組み合わせについて、nが十分に大きい場合、r/n≒αとなる」
ただし、0.5<α<1とする。
前章と同様に、αを具体的な値として変化させた場合のnとr/nの振る舞いを確認する。
α=0.6の場合
α=0.8の場合
α=0.9の場合
α=0.6, 0.7, 0.8, 0.9の場合の比較
いずれのαの場合も、nが大きくなるにつれてr/nがαに近づいていることが分かる。
どうも命題は正しそうだ。
4. つまりどういうこと?
上の事象がどういうことなのか調べていたところ、以下のページを見つけた。
こちらの例題4が丁度今回話題にしていた内容である。
とどのつまり、r=(n+1)αとなるようなrの場合にPが最大値となるのである。
これを両辺nで割ると、r/n={(n+1)/ n}αとなる。
nが十分大きな値であれば(n+1)/n≒1となるから、r/n≒αとなる
やはり命題は正しかった。
落としどころを見失ってしまったが、とりあえず目下気にしていたことは解決したのでよしとする。
また、抽象的な関心に定量的な形を与えることで解析できるようにする、ということがいかに重要なのかを再認識できたことも収穫だと思う。
次にこの手の記事を書くのがいつになるのかは分からないが、また気が向いたら書いてみよう。