24-05 +Cを考える
今回で5回目、なんとか最初の一ヶ月を乗り越えられたところですが、まだまだ一年は長いので、今回も頑張ってアウトプットしたいと思います、
前回+Cで話が終わったので、今回は+Cからお話をしていこうと思います。僕自身の入力の原点である、
+C Curiosity 好奇心
これは、何者で、どう形を変えてきたかについて自分なりに考えてみました。
放送大学のなにか心理学の授業か、臨床カウンセリングの授業か忘れましたが、人間はそもそも、人間以外の動物も、生まれてから幼い頃は、好奇心いっぱいなんだそうです。自分自身は、あまりに子供すぎて詳細な記憶がないですが、本来幼少期は、特に好奇心が発達する時期なのだと思うし、新しい経験や知識の探求が発達段階において重要です。子供は周囲の環境を探索し、学び、発展していくのだと思います。ただ、身近には危険がいっぱいあり、あれはダメ、これもダメ、と規制が大きかかる過程で、徐々に好奇心が減ってきたのではないかと感じることがあります。そして、大人になるにつれて、どこかこの好奇心が薄れていくような気がしています。なぜ、好奇心が薄れていくのか考えてみました。
1、多忙 現代の日本における人の多くは多忙なことが多いように思います。日常生活が忙しく、注意が分散すると些細なことに御門を持つ余裕がなくなるのかもしれません。
2、知識、経験が邪魔をする 人は、こんなこと知っているとか、知っていることが目の前にある状態に安心感を覚え、その為新たな疑問を持つことに抵抗があるのかもしれません。少し変だなと思いつつ、まあこんなこともあるよ、と思って、後々大ごとになるというようなこともたまにあります。安心感や、安心であろうというバイアスが、疑問を持たない方向にするのかもしれません。
3、社会的な影響 とかく周囲の社会的な期待や規範に合わせている状態は、時として波風が立ちにくく安寧のバドになりやすかったり、それに伴い他者の意見や、信念を疑わなかったりすることもよくあります。
4、学習や教育の影響 現代社会の教育の一部は、単に情報を覚えることが重視され、自発的な疑問を抱く力が育まれないことがあります。答えが正しいかどうかだけを学んでくると、過程や、背景の違いによる結果が異なるということを見落としがちになることがあるでしょう。
5、恐れや不安 たまに、知らなくて良いことや、首を突っ込むと面倒なという意識が芽生えることもあります。新しい疑問に対する不安や恐れがあると、人は避けることがあると思います。変化や不確実性に対する不安は疑問を抱く意欲を減少させることがあります。
これらの他にもあるかもしれませんが、こういったことが阻害要因となって、好奇心が薄れていくのかもしれません。
これらの阻害要因を認識した上で、何をするのか?考えてみると、
・読書や学習
・異なる文化や環境を探索してみる
・他の人との交流
・挑戦を失敗を受け入れる
などが考えられそうです。
奇しくも、ボケ防止の活動にとても類似しています。
ボケないためにするというと、なんかネガティブな感じがしますが、捉え方はさておき、これらのことを意識しながら、日々を過ごしてみるとなんか良いことが起きそうな気がしてきました。完全にはうまく纏まらない感じですが、今日はこれくらいにしてみてください、半年後に再度考えてみることにします。
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