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田中摩美々の精神分析

『アイドルマスターシャイニーカラーズ』という、アイドルをプロデュースする育成ゲームがあるのですが、それに登場する田中摩美々さんという女性についてお話したいと思います。

まず順を追って、田中さんとの出会いから書いていきたいと思うのですが、プロデューサーが夜の繁華街を歩いていた折に、ひときわ目を引く風貌の彼女をスカウトしたのがきっかけです。しかしプロデューサーは田中さんの年齢を知るなり、態度を急変させます。そう、田中さんは18歳の女子高生だったのです。

プロデューサーはなんと田中さんの夜遊びを説教し出します。うぜー(笑)。

ですが田中さんはむしろプロデューサーに興味を抱き、後日事務所にやって来て、アイドルの道を歩み出す…というのが田中さんのデヴューまでの経緯です。田中さんは一言でいってしまうとダウナーで面倒臭がりなひとで、アイドルとしてのポテンシャルはものすごく高いけれど、アイドル活動に対しての意欲が低い。そんな田中さんが色々な仲間との出会いを経て少しずつ変化していく、というのがシナリオの大まかなあらましなのですが、彼女を読み解く上での重要なキーワードは『ファザー・コンプレックス』です。

日本では“お父さんが大好きすぎてベタベタしまくっているひと”ぐらいの意味で使われる言葉ですが、本来の意味はまったく違います。『ファザー・コンプレックス』とは、幼少期に親が厳しく叱ってくれなかったために、厳しく導いて強く律してくれる父性的なものに憧れることによって形成される複合的な問題のことです。ちなみに“コンプレックス”も日本では『劣等感』という意味で使われますが、もともとは『複合体』という意味です。『劣等感』の正しい英訳はインフェリオリティー・コンプレックスです。

話が少々スリップしましたが、子供の教育において重要なのは父性と母性のバランスで、厳しく叱る父性と、優しく包容する母性のどちらかが如実に欠けていると、ファザー・コンプレックスあるいはマザー・コンプレックスを形成するんですね。

田中さんのシナリオは、この『ファザー・コンプレックス』をクラシカルな、つまりは正しい形で引用しています。

まず、田中さんの両親は神奈川の資産家で、たいへん裕福です。どのぐらい裕福かというと、田中さんの自室と寝室は別です。そのぐらい裕福です。そして放任主義の両親は、田中さんが何をしても決して叱りません。裕福で満ち足りた生活をしていて、親は何をしても褒めてくれる。絶対に叱らない。この飢餓感、この欠落感こそが田中さんの基本的な行動原理です。

田中さんはゴスパンクとストリート系を組み合わせた奇抜な服装に身を包み、髪を紫色に染め、ピアスもバッチバチに開けているのですが、これはすべて両親の目を引くために始めたことです。

また田中さんは『イタズラ好き』でもあるのですが、これも元々両親に叱ってほしくて始めたことです。だから、田中さんは自分を叱ってきたプロデューサーに対して関心を抱いたワケです。プロデューサーに父性を見出したんですね。

『私と本気で正面からぶつかってくれる人なんて、今までいませんでしたぁ。私にあーだこーだ言ってくれるのは、プロデューサーぐらいですよ』

という言葉に、それがもっとも端的に表れています。つまりプロデューサーと田中さんの間に流れるものは恋愛感情、ではないんですよね。擬似的な父娘関係です。信頼感です。非常に古典的なファザー・コンプレックスの物語です。


というのも、いま古典的な意味での『父性』などというのは存在せず、女性も男性も『優しく安心させてくれる存在』を求め、それを性自認に合わせてカジュアルに『父性』『母性』と呼び分けている時代ですからね。田中さんのシナリオはひじょうにオールドスクールかつウェルメイドであるといえます。

余談ですが、田中さんは何かを食べたり飲んだり、もしくは口元を触ったりする描写が多いです。これはフロイドが提唱するところの、リビドー発達段階の第一段階である『口唇期』の典型的な行動です。フロイドは『赤ちゃんにも性欲はある』といった人で、赤ちゃんが指をしゃぶったりオモチャを口に入れたりするのは性欲の最初のステージであり、唇や舌から快感を得ようとする口唇欲なんだって主張してるんですね。これが口唇期です。

大体の人間は2歳ぐらいで口唇期を終えるけれど、乳児期に口唇欲が満たされないと、口唇期はずっと続いてしまう。いわゆる“口寂しい”というような感覚に陥りやすくなるんです。だから口元を無意識によく触ったりするんです。タバコ好きとかガム好きとかアメ好きとかってのも、口唇期の典型的な性格ですね。まぁこれも非常に古典的な話で、フロイドなんかいまの臨床心理学だともうほとんどオカルトみたいな扱いですから、そういうモチーフの引き方もすごくオールドスクールです。

また、余談に余談を重ねますが、田中さんは『照れ臭いときに髪を触る』という癖もあります。これはノンバーバル・メッセージといって不安定な感情をあらわす自己親密行動で、要するに自分を落ち着かせようとして行うアクションなんですけれども、『甘えたい』とか『安心したい』とか『かまってほしい』という深層心理のはたらきもそこには含まれています。これも田中さんの愛情飢餓を読み解くうえでのひとつのファクターといえるのではないでしょうか。


で、田中さんが難関オーディションに合格したとき、プロデューサーがめちゃくちゃ褒めるっていうシーンがあるんですけど、そのときに田中さんは、

『……そ、そんなに、褒めないでくださいよー……もー、最低です、プロデューサー……まみみ、褒められて泣くなんて初めてですよー……?』

と言うんです。田中さんは器用で何でもこなせる人です。だから親だけでなく、周囲にもたくさん褒められて生きてきました。けれど褒められるというのは田中さんにとって別段うれしいことではなかったんですよね。田中さんが物事に積極的に取り組まないのも、ダウナーな性格なのも、“できてしまうから”です。努力と、それにまつわる挫折を経験しないというのは一見とてもいいことに思えますが、実際は地獄です。己を揺さぶる挫折経験こそが時空間を広げます。傷ついて初めて時間と空間は生じます。傷つかない人間は己を傷つけることでしか時空間を有することができず、最終的に自傷/自殺以外することがなくなってしまうのです。とまれ、環境と才能、これは田中さんにかけられた二重の呪いです。

しかし自分を初めてちゃんと叱ってくれた、自分とまっすぐ本気でぶつかりあってくれたプロデューサーに褒められたとき、田中さんは泣くんです。そして、自分が積み上げてきた途方もない努力が実ったことにようやく気づき、嬉しさで全身を奮い立たせるんです。

それはおそらく彼女が生まれて初めて得た生の実感であり、つまりは感動です。人は感動するために生きている。もっとも深い感動とは、それすなわち愛である。そして愛は、人と人のあいだの、わずかな空間に存在する。『ファザー・コンプレックス』をテーマとして、“恋愛関係”ではない“愛”の物語をつくりあげたシナリオライターの方々には、頭を垂れるばかりです。

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