大正9年、柏崎の中村彝個展(続き)
大正9年、柏崎で開催された「中村彝氏個人展覧会」の会場写真4葉から推定される出品作品は、各写真右側から以下の通りである。
写真1枚目
1「自画像」
柏崎展目録に自画像とある2点のうちの1点。しかし、この自画像は、1984年発行の『中村彝画集』(日動出版部)の「中村彝作品目録」(以下Nと略記し、Nに続く番号は、この目録の番号である)にない。これは貴重な作品画像。
2「肖像」=洲崎義郎氏の肖像=N85=新潟展図録45
3 照合不可*
4「雉」N87=新潟展図録47
5「自画像」N55、柏崎展目録にあるもう1点の自画像。
6「壺に花」、または「或る椿のコンポジション」
7「大島の風景」N46=新潟展図録20、
第13回太平洋画会展出品の作品。
8「ダリヤ」N168
1911年9月の年記のある作品。照合が難しかったが、これに相違ない。
写真2枚目
9「西巻時太郎氏の肖像」N73=新潟展図録32
10「小鳥の復活」新潟展図録70
Nに掲載されていないが、1984年、鎌倉での中村彝展図録126番の作品。その他の画集、図録にも掲載。
11「静物」N35=新潟展図録17
小見秀男氏によると、これは、洲崎義郎が彝から最初に購入した作品で、後に友人で黒船館の創立者、吉田正太郎に譲られたという。
12「静物」(パステル)N136
写真3枚目
13「苺」N71=新潟展図録35
14「或る椿のコンポジション」、または、「壺に花」→6
15「平磯海岸」=「平磯」N82=新潟展図録42
16 照合不可*
17 照合不可*
18「目白の初冬」=「目白の冬」(茨城県近代美術館蔵)N179
19「平磯海岸」N83=新潟展図録43
20「庭の雪」N74
白黒図版では目立たないが、雪の庭に鳥籠が描かれている作品。彝が洲崎の妻、政子に贈った作品である。照合が難しかったが、これに相違ない。
写真4枚目
21「静物」(茨城県近代美術館蔵)N56=新潟展図録28
22「病める男」=「血を吐く男」N192
Nでは技法を墨としているが、1997年の新潟展図録72ではペン画としている作品。
23「野島ケ崎」Nに掲載のない作品。千葉県の房総半島最南端で描かれた作品。1989年、茨城県近代美術館『中村彝・中原悌二郎と友人たち』図録2番の「風景(岩)」と題されている作品。
24「静物」(茨城県近代美術館蔵)=新潟展図録48
大正9年柏崎展の目録表紙になっている作品。
25 照合不可*
何が描かれているのか不分明だが、珍しい作品画像。ほとんど知られていない作品。
26「目白の冬」(パステル)おそらく新潟展図録51の作品。
27 照合不可*
*
照合不可とした作品は、作品があまりに小さいか、画像が暗くて形象が把握できないもの。
(ただし6と14は、作品が小さく、不分明であっても、額装の形から、残されたパステル作品のいずれかに相当すると考えて、仮に当てはめてみたに過ぎない。)
照合不可の5作品は、目録にある「大島の風景」(7とは別作品)、「椿」、「庭の斜陽」、「ダリヤ」(8のダリヤとは別作品)、「静物」のいずれかに対応するものと思われる。
ただ、新潟県立近代美術館図録で大正9年の柏崎展出品としている中野美術館の「大島の風景」は、会場写真4葉にある27点のうち、何番目の作品と合致するのだろうか。印刷された図録の写真から探し出そうとしているためか、私には判別できなかった。
また、新潟県立近代美術館の図録の出品目録(86〜89頁)では、なぜかその51番の「目白風景」と72番の「血を吐く男」を大正9年の柏崎展出品としていないが、これらは、上記の26と22に相当することが会場写真から推定できるから、大正9年の柏崎展出品の作品としてよいと思う。
追記(2024-11-19)
『没後100年 中村彝展』(茨城県近代美術館)の図録論文において吉田衣里さんが、本稿記事と同様の問題意識とアプローチのもと、詳細な作品同定を試みている。作品同定の最新の成果(本稿記事もそれに従って改めなければならない)については、吉田さんの図録論文を参照されたい。(舟木力英)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?