中村彝の多湖実輝宛葉書、「最近五カ年の思ひ出は僕を絶望させる」
「久しブリで御手紙ニ接してなつかしい気がした。余り便りがないから悪(わ)るいんではないかと実ハ内々心配していたのだ。僕ハ大によくない。去年の暮から臥たきりだ。木村博(*)に一度駄目をおされたがそれでもどうにか生きてだけハ居る。たゞ生きてるといふだけだ。昔日の元気ハ全くない。毎日眠いばかりで睡(ネム)ってばかり居る。時々喀血もする。この喀血もこの頃ハ平気なもんだ。熱も出る。熱も慣れっこになったせいか丸で御湯にでも入ってる様で寧(ムシ)ろ快感だ。時々世の中が嫌になる。怠倦した生は堪へられなくなる。然しこうした冬眠ニも苦しい生の中ニも大なる神の慈悲と力だけは矢張り働いて居るのだらうと思って自棄することだけは慎んで居る。今の僕に取っては古い過去の思ひ出だけが楽しくなつかしい。最近五ケ年の思ひ出は僕を絶望させる。若し君が来られる位よいならば會いたいと思ふ。然し僕はこの頃声が出なくなって終ったから會っても愉快には話せない。(まことをは語らん日まで黙(もだ)せよと神の教かわれ声立たず)
寺内□□ハ僕の親友だ。いゝ男だ。真面目な秀才だ。是非紹介し様。」
(註* 木村博とは木村博士の意味であろう。彝は大正10年2月木村徳衛医師から余命宣告を受けていた。)
(□□は、「耳野」のようにも見えるが、正確には判読できない。)
上記の葉書は『藝術の無限感』に収録されていない。この葉書は茨城県近代美術館に保管されている。同館には3通の多湖実輝宛葉書があるが、そのうち1通は大島から出した絵葉書(大正4年3月19日)で、書かれている内容はこのリンクの通りである。これは、同館が発行した『中村彝とその周辺』という冊子にその写真図版が掲載されているので、その手書き文字を読もうと思えば、一応読み取ることができる。この絵葉書は、なぜか寄贈された彝保有とされるレコード・ジャケットの中に埋もれていた。
3通のうち2通目が今回その内容を紹介したこの葉書(大正10年8月2日)であり、小さな文字で最も長く書いている。
自らの病状を語り、医師に駄目を押された彝だが、それでも何とか自棄せずに生きていこうとする態度が読み取れる。だが、「今の僕に取っては古い過去の思ひ出だけが楽しくなつかしい。最近五ケ年の思ひ出は僕を絶望させる」と、俊子との破局以来の5年間もさらに悲痛な思いで古くからの友人に吐露せざるを得なかった。
もう1枚はフランス生まれの画家アンリ・オットマン作「脱衣の少女」(1920)の絵葉書に書いた多湖への年賀状(大正13年元旦)である。
賀正
大正十三年元旦
興ちゃんヤ半ちゃんの事二ついていろいろありがとう おたさんもその中二是非御禮二上り度いと申してゐました 彝
オットマンの「脱衣の少女」の画像は先のリンクの通りだが、彝が出した絵葉書は「辻本寫眞工藝社製」のもので、「倉敷文化協會発行」となっている。が、その複製の技術は今日の比ではないようだ。
因みに児島虎次郎がこの作品を購入したのは1922年の11月のことらしい(先のリンク参照)。そして翌年(大正12年)の8月には倉敷市内で56点の収集品が公開され、その中にこのオットマンの作品も展示されたことを示す目録が知られている。この絵葉書はその時発行されたものだろうが、彝自身が倉敷でこの作品を見たとは考えられない。
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