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マネの水平線-バルベー・ドールヴィイの評言

 三浦篤氏の『移り棲む美術』(2021)の巻頭カラー図版の最初にマネの「キアサージ号とアラバマ号の戦い」が掲載されている。それはこの作品が著者によって重要な作品と考えられているからであろう。

 この作品は画面上方に「高い水平線」が見られるが、それはとりもなおさず、ジャポニスムの重要な影響によるものであることを、氏は最大限、強調しようとしたのである。

 俯瞰的な視点による「高い水平線」は、西洋美術においても、もちろん皆無ではなく、ブリューゲルなどの作品も直ぐに思い当たるが、19世紀後半、特に1860年代以降のフランス美術におけるそれは、ジャポニスムの影響とされることが多い。

 モネの1860年代の作品にも高い水平線が見られることがある。だが、彼の海景画における高い水平線は、1880年代の作品において最も顕著になるので、1864年作のマネのこの作品における高い水平線が、早期の例としてきわめて重要になることは否定できない。

 さて、マネのこの作品を論じるにあたっては、1872年のサロン展示(この作品の3度目の展示)の際の辛辣な戯画や、バルベー・ドールヴィイ、ジュール・クラルティ、1876年のマラルメの評言などが引用されるのが常のようである。

 例えば、A.C.Hansonの"Manet & the Modern Tradition,"(1977)においても、こういった面々の評が見られるし、ほかの解説本などでも然りだ。

 ただ、ハンソンによれば、この作品は、1872年のサロン展示の際、大方は好意的な評だったが、もちろん待ち構えていた風刺家や戯画の恰好な対象ともなった。

 Stop,Cham,Leroy,Bertallらが、戯画などでこの作品を皮肉った側だが、Barbey d'Aurevillyはこう言ったのである。

 「マネほど才気走らない人なら、絵を見るひとたちの関心を戦闘そのものに向けさせるため、相争う軍艦を画面前景に持ってきたことだろう。…(だが)マネはそれらを水平線上にまで押しやった。彼はそれらを恥ずかしげに縮小して遠方に遠ざけた。が、あらゆる方向にうねる海が、絵の額縁近くまで押し広げられた海が、それのみが戦闘を語って余りある。いや、戦闘よりもすごい。海の力動感により、大波のうねりにより、深海から巻きおこるとてつもない波によって、諸君には戦闘が分かるのだ。」

 マネはこの「歴史画」においても、自分の最も描きたいものを描いたのであり、自分の表現したい方法で表現したのである。バルベー・ドールヴィイはそう言いたかったのではなかろうか。

 後にユリウス・マイヤー=グレーフェも、マネのこの作品に関連して、「バルベー・ドールヴィイはマネの観かたの偉大さを理解して賛嘆していた」と述べている。バルベー・ドールヴィイは決して辛辣な矢を放ったのではない。

 かくして「キアサージ号とアラバマ号の戦い」は、当代の事件を描いた「歴史画」でもあるが、もちろんマネらしい「海景画」ともなった。

 そして、マネがここで試みた高い水平線と青緑の波立つ海面は、のちに「ロシュフォールの逃亡」(チューリッヒ・クンストハウス)においては、素晴らしい心理的効果をもたらすことになるのである。






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