
Photo by
blanche_123_123
贈与と交換
昨年12月25日の読売新聞に梅田明日佳さんが、近内悠太『世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学』の読書ノートを書いていた。
「贈与は与え合うものでなく受け取り合うもの。…差し出される贈与は直ちに返礼の義務を生み出してしまい、受取人の自由を奪う。」
確かにそうだ。
真面目な人ほど「返礼」の義務を感じてしまうかもしれない。
古くからあるヤクザの世界など思い浮かぶ。
厳かな儀式を伴ってある約束を結び、その絆は家族や兄弟よりも固い。これは、受け取り合う贈与の世界ではないのだろう。
このような世界では、一見、贈与の形を取りながら見返りが等価である「交換」以上の義務的な恩義が課されるから、気付いたときには自由は激しく奪われている。ときには大きく法を犯し、血や肉体をもってこれまでの恩義に報いなければならない。
与え合うような贈与は、かえって危険かもしれない。だが、受け取り合う贈与には等価な「交換」からでは得られない文字通りプライスレスなものが含まれているのだろう。
本当の贈り物が、もちろん「交換」ではなく、また、与え合う「贈与」でもないこと、それは、受け取り合うものということは、オー・ヘンリーの短編『賢者の贈り物』がよく示しているところだろう。