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第三回 Till the End of Time♪-アルツハイマー病がない世界をつくる 研究者・西道隆臣

 Podcast版も是非お楽しみください🎵

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アルツハイマー病を克服したい

竹内 西道さんは認知症、アルツハイマー病を研究していると聞きました。

西道 1997年に研究室を立ち上げ、20年以上アルツハイマー病をテーマに研究をしています。パンデミックとなってしまったコロナウィルスはもちろん大きな社会課題ですが、感染症は繰り返すことはあっても、長い目でみればだんだん減少していきますよね。認知症の場合は加齢・老化が最大の危険因子です。人はみな歳を取る。基本的には長く生きると全ての人が認知症になる可能性があるため現代社会における大きな課題となっています。私の研究室では認知症の中でもアルツハイマー病に焦点を合わせていて「アルツハイマー病がない世界をつくる」というのが最終ゴールです。

竹内 研究の内容としては、まず発症の原因を探るということでしょうか?

西道 そう、病気の原因を突き止めることと、もう一つ重要なのは動物モデルを作ることです。研究では仮説を立てて実験と検証を繰り返すわけですが、実際に患者さんで臨床試験を行うのはハードルが高いですし、お金も時間もかかる。ですから、臨床試験の前段階としての基礎研究が重要なわけです。しかし、ヒトのアルツハイマー病と同じ脳の状態を正確に再現できる動物モデルが存在していなかった。これでは病気のメカニズム解明も、治療法開発も進まないぞということで、私たちのチームが世界で初めてヒトに非常に近いアルツハイマー病の脳を再現できるモデルマウスを作りました。このモデルマウスを使いながらアルツハイマー病の原因と考えられる物質、蓄積したタンパク質などをどうやったら取り除くことができるかを研究をしています。

マウスをヒト化したら研究が進みだした

西道 認知症になると記憶力、思考力、言語能力などが低下する、位置情報が分からなくなるなど、自立した生活ができなくなる。病気を発症した本人も周りのご家族も大変困りますし、当事者にはならなくとも認知症に関連して社会が負担する医療費額は15兆円にも上ります。

竹内 ものすごい金額ですね。認知症のなかでも西道さんがテーマにしているアルツハイマー病が一番厄介なんでしょうか?

西道 認知症といってもさまざまな原因と種類があるのですが、とにかくアルツハイマー病が一番多いんです。世界では恐らく5000万人がアルツハイマー病だといわれています。日本では認知症の患者数は700万人以上、そのうち約500万人がアルツハイマー病です。つまり認知症の約7割を占めるのがアルツハイマー病です。残りの2割が脳梗塞や脳内出血、心筋梗塞などの血管関連の病変が原因の血管性認知症で、1割がレビー小体型認知症などです。

竹内 日本はすでに超高齢化社会ですし、アルツハイマー病の克服は喫緊の課題のように思うのですが、効果的な治療法ってなかなか聞かないですよね。最近やっと、米国の製薬会社バイオジェンと日本のエーザイが共同開発したアデュカヌマブという新薬が、2003年以来はじめてアルツハイマー病治療薬として米食品医薬品局(FDA)に条件付きで承認されて大きなニュースになっていましたね。

西道 そう、アルツハイマー病は100年以上も研究されてきているのですが、根本的な治療法がまだないのが現状です。多くの製薬会社が莫大な費用を投じて薬を作り効果を試してはいるのですが、どれもきちんとした成果がない。今回のアデュカヌマブは対症薬ではなく、原因物質の一つであるアミロイドβタンパク質を除去するという戦略としては初めて承認された薬であり、このアプローチにある程度お墨付きを与えられたという点では画期的であり、次なる展開を切り開いたとも言えるでしょう。ただ、病態が進行し神経細胞死を起こしている状態にはほとんど効果がないなどまだ課題も多くあり、それを踏まえた条件付き承認ということで、アルツハイマー病の克服という私たちの目的の達成においては、まだまだこれからというところです。

竹内 なるほど。自分たちが将来かなりの確率でかかるかもしれない病気なのに、根本的な治療法がしっかりと確立されていないって不安になりますよね。おちおち「長生きしたい」なんて言えないな。アミロイドという原因物質があることはわかりました。そのほかに脳内では何が起こってアルツハイマー病が引き起こされているのですか?

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モデルマウス脳内のアミロイド(緑の斑点)左が2か月齢、右が9か月齢のマウス

西道 疾患の直接の原因は細胞死なんです。簡単に言うと、脳内の神経細胞(ニューロン)の外側にアミロイドβという本来は分解され除去されるはずのタンパク質が、どんどん異常に溜まっていき、老人斑という斑点状のシミのように見える塊を脳内に作る。するとそのうちニューロンの内側にタウという別のタンパク質が集まって塊を作りはじめ、こちらもどんどん溜まって脳内の炎症が悪化してニューロンを死に至らしめる、という仕組みです。つまり加齢とともに脳内にどんどんゴミが溜まっていくんです。

竹内 老化すると自浄作用も弱くなるというこということですね。きっと寿命が50歳くらいだったころはこの病気は問題にはならなかったんでしょうね。

西道 そうそう。人間の寿命って近年にぐっと伸びましたよね。1940年頃までは人生50年くらいでした。脳内にゴミが溜まっていても50歳で亡くなるわけだから困らなかった。それが今や90年、長生きすると100年と生きるようになって、その脳内のゴミが悪さをするようになったということです。個人差はありますが、アミロイドは実は40代ごろから溜まり始め、60代後半ころからタウが蓄積することが分かっています。長い年月をかけて細胞が死んでいき、脳に少しずつ異常が生じて、最終的に認知機能の低下という外から症状が確認される状態になる。脳内にゴミが溜まると何が起きるかというと、炎症が起きるんですね。ガンでもそうですが、炎症って細胞に良くないじゃないですか。活性酸素なんかを出したりして、周りの細胞にまで影響を与えてしまう。結果的にニューロンが死んでしまい、脳をMRIで撮ると萎縮している。当然長いプロセスを経て発症しているので症状が出てからでは治療は難しい。

竹内 なるほど。そうなると原因と考えられるアミロイドとタウが溜まらないようにすれば良いと。または溜まってしまったものを後から分解や掃除できれば良い。

西道 簡単に言うとそういうことになります。アミロイドとタウの関係性というと、今のところ、アミロイドがヤクザのボス、タウはヒットマンみたいな感じで悪さをする、と考えられています。順番としてはアミロイドが脳全体に溜まって、その後タウが全域に広がる。そしてタウが溜まるとほぼ同時にニューロンが死に始めて、軽度認知障害(MCI: Mild Cognitive Impairment)になる。その後はもうタウがどんどん溜まってニューロンも次々死んでいく。でも、実際はタウも割と早い時期に脳の一部に溜まり始めているとも言われているんです。だから、実はそもそもタウの蓄積が引き金なのかもしれない。アミロイドとタウがどのように互いに影響し合うのかということも、実はまだ完全には分かっていないのです。

竹内 そうか、因果関係をはっきりさせないと治療法にはつながらない。

西道 はい。ところが、こうした因果関係を研究するのに適したモデルマウスが存在しなかった。マウスの脳内では3種類のタウがあるのですが、ヒトの脳では6種類ある。マウスとヒトでそもそもタウの遺伝子が違うんですね。だから、よりヒトに近い脳の状態をマウスで再現するために、マウスのタウの遺伝子をヒトのタウの遺伝子と完全に入れ替えたマウスを作ってみたんです。“ヒューマン・タウ(ヒト化タウ)マウス”って呼んでいるんですが、そうするとマウスの脳内でもヒトと同じ6種類のタウを作らせることができた。タウというタンパク質レベルでもモデルマウスの脳をヒト化することができたんです。

伝搬するタンパク質

竹内 ヒト化したタンパク質、それもアルツハイマー病の原因タンパク質を持ったマウスができたと。これはアルツハイマー病の研究にはインパクトがあったでしょうね。

西道 そう。しかもタウをヒト化したモデルマウスを使うと、それまで研究できなかった現象も研究できるようになってきた。例えばタウっていうのは伝搬しちゃうんです、ヒトの場合は。

竹内 えっ、伝搬する? タウって自己増殖する細菌やウイルスと違って、ただのタンパク質ですよね? それが増えて広がっていくということですか?

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西道 プリオンってご存じでしょうか。狂牛病(BSE)の原因であるタンパク質。狂牛病に感染した牛の異常プリオンが処理されて肉骨粉となり、家畜やペットがそれを食べて感染したと大きな問題になりました。イギリスでは1990年代に15歳の少女に感染した報告があり世界に衝撃を与えました。このプリオンはただのタンパク質なのに脳内で伝搬、つまり増えて広がっていくんです。あれと同じです。

竹内 脳がスポンジ状になってしまうBSEはかなり報道され、日本では牛肉の輸入規制もされましたよね。アルツハイマー病の原因タンパク質のタウも同じように伝搬する、と。

西道 はい。どういう実験をしたかというと、実際の患者さんの脳に溜まっていたタウを冷凍保存しておいて、それをマウスの脳、海馬に注射するんです。これを普通のマウスの海馬に注射しても少ししか伝搬しない。だからタウの伝搬についての研究は進んでいなかった。ところがヒューマン・タウ、つまりヒト化したマウスの脳に入れるとわーっとタウが脳内に広がったんです。まさにプリオンみたいに伝搬しやすいことが分かった。そうすると、脳内でのタウの伝搬を止めれば、治療になるんじゃないかという新しい発想が生まれる。こういった実験も世界中で行われていて、われわれが作ったヒト化したタウ・マウスが使われています。

竹内 なるほど。研究に必要な新しい道具が開発できると新たなアプローチも生まれてくるんですね。伝搬というとちょっと怖い感じがありますよね。これは実験と同じように、直接、脳に異常なタウタンパク質を注入しなければ伝搬しないんでしょうか?

西道 基本はそうなんですけれども、狂牛病では感染した部位を食べなくても屠殺場の男性が上半身裸で肉を担いで運んだ作業から感染したという報告もありましたし、疾患の原因となるタンパク質が消化器系から伝搬するという報告もあります。例えば、パーキンソン病の原因物質であるα-シヌクレインというタンパク質は腸管膜からも脳へ伝搬します。脳と腸って色々な神経がつながっているんですよね。さまざまな脳疾患と腸の密接な関係については近年、研究が進んできている分野です。

竹内 アルツハイマー病に関しては、何かを食べたことによってタウが伝搬しちゃうとか、そういう危険性はないんですね?

西道 今のところ報告はないと思います。ヒトのように6種類のタウを持っているというのは、高等な霊長類だけなので、もしかしたら、中国などで見られるサルの脳を生で食べる食文化はちょっと怖いかもしれないですね。

竹内 やめたほうが良いと。

西道 やめたほうが良いと思います。

始まる前に止める! 先制医療で発症させない

竹内 周りでは自分の親や親せきがアルツハイマー病だってケース、本当によく聞くんですよね。次の世代の私たちからすると、やっぱりこの病気は遺伝するのか、すごく関心があります。

西道 アルツハイマー病には家族性アルツハイマー病と孤発性アルツハイマー病の二つがありますが、家族性アルツハイマー病は確実に遺伝します。両親のうちどちらか一人が家族性アルツハイマー病の原因遺伝子を持っている場合、その子どもは2分の1の確率でアルツハイマー病になる。しかも若年で発症する場合が多い。一番早い例だと20代から、遅いケースでも30代、40代、50代で症状が出始める。

竹内 そんなにも早く発症するんですね……。

西道 孤発性に関しては明確な遺伝性は示されていないのですが、家系を見るとアルツハイマー病になる人が多い家系と少ない家系がやっぱりあるんですよね。今のところアルツハイマー病になりやすい危険因子は約30個(遺伝学が進歩した結果、最近新たに30個ほど報告された)分かっていますが、それを全部ある数式に組み入れると、孤発性のアルツハイマー病も大体何歳ぐらいで発症するかを予測できる、という報告があります。

竹内 自分の遺伝子を調べることで予想がつくと。

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西道 はい。これはイギリスの研究グループの報告なのですが、やっぱりイギリス人と日本人では遺伝子傾向に違いがありますから、そのまま日本人には当てはめられない。日本では、新潟大学の池内健先生が研究を進めています。はじめにもお話ししましたが、原因物質のアミロイドの蓄積って発症の20~25年前には始まっているんですね。だから遺伝子で発症年齢が予測できるようになると、例えば60歳で発症する計算の場合、40歳頃の発症前の脳に対して先制医療を施せれば20年後に発症しなくて済む。つまり長く生きてもアルツハイマー病にならない、ということが将来的には可能になると思います。

竹内 よかった。ちょっと明るい未来が見えてきました(笑)。今、西道さんがおっしゃったのは、前臨床性アルツハイマー病という状態ですよね。

西道 そうです。症状は出ていないけれども、脳にはすでにアミロイドが溜まっているという状態です。

竹内 前臨床性アルツハイマー病というのは、自覚症状がなくても検査をすれば分かるものなんでしょうか?

西道 はい。一つはアミロイドPET*1検査で分かります。あともう一つはこの2~3年で急速に研究が進んできた血液を調べる血液バイオマーカーがあります。2002年にノーベル化学賞を受賞した島津製作所の田中耕一先生と、国立長寿医療研究センターの柳澤勝彦先生が研究開発*2を進めていて、これを用いると血液サンプルから、脳内の異常タンパク質の溜まり具合をある程度推定することができると言われています。

竹内 治療法というより予防法として、早い段階でアミロイドが溜まるのを監視してそうさせないようにする、ということですよね。

西道 そう。ニューロンが死に始めたら治すのは難しいので、症状が出る前の前臨床性アルツハイマー病の段階で、アミロイドの蓄積、あるいはタウの蓄積を止めることを目標としています。先ほどお話ししましたアデュカヌマブは、アミロイドβタンパク質に対する抗体です。末梢から投与した抗体が脳内に移行し、アミロイドβタンパク質を除去すると考えられています。ただし、脳内に移行する抗体は投与されたうち0.01~0.1%となるので、大量の抗体が必要です。そのため、年間の薬価が約600万円と高額になってしまいます。また、脳内の血管アミロイドに抗体が結合することで、出血や浮腫といった副作用が生じることも報告されています。私たちの研究も「アミロイドβタンパク質を除去する」という点で方向性は同じですが、一つ大きく異なる点があります。

竹内 どんな違いなのでしょうか?

西道 2001年に私たちが発見したアミロイドを選択的に分解する酵素・ネプリライシンを利用するという点です。実験ではこのネプリライシンの遺伝子をマウスの脳に導入して遺伝子治療を試し、蓄積していたアミロイドを除去することに成功しています。この研究が順調に進み成功すれば、薬価は100分に1程度になり、副作用も少ないと期待されます。

竹内 安価で副作用が少ないということは、画期的かつ現実的な方法のように思えます。遺伝子治療って最近はよく耳にしますよね。

西道 でも遺伝子治療って心理的にまだ怖いじゃないですか。だから遺伝子治療以外で予防する方法も模索しています。具体的には「一日1回服用すればアミロイドβタンパク質の蓄積を止めることができる経口治療薬」の開発を目標にしています。これは多方面との共同開発が必要なので、もう少し時間を要します。

竹内 ビタミンサプリのように日常的に補給すれば予防ができるかもしれないなんて理想的ですね。遺伝子治療に関しては、もし本人が怖くない場合にはネプリライシンですか、これによる治療を受けることはできるんですか?

西道 できますよ。われわれも自治医科大学の村松慎一先生と共同研究を進めていますが、日本は臨床までにはクリアすべき点が多くあり、今すぐに治験を行うのは難しい。けれどもどうやら他国、例えばシンガポールは比較的緩いらしくて。そこで、例えば家族性のアルツハイマーの原因遺伝子を持っているアラブのお金持ちを対象に遺伝子治療をしようという計画があるようです。

諸刃の剣、ミクログリア

竹内 近年、脳内のニューロン以外の細胞の役割がどんどん詳細まで分かってきたと聞きました。脳内のゴミ処理を担当しているミクログリアですか、それによってアミロイドやタウが分解されるっていうこともあるわけですか?

西道 あります。ミクログリアという細胞は、アルツハイマー病研究の中ではアミロイドやタウと同じぐらい大事な役者です。ミクログリアはアミロイド斑という異常に集まってしまったアミロイドの塊を食べるんですが、ミクログリアの活性に関係する遺伝子が孤発性アルツハイマー病のリスクに影響しているという研究結果がいくつか出てきています。ただ、実はミクログリアは諸刃の剣で、アミロイドを食べるという浄化作用をやりながら、一方で活性酸素を出したりして周りの細胞に害を与えるんです。これをうまくコントロールできればいいんですよね。

竹内 人工的にでもミクログリアの数を増やして、異常に蓄積したアミロイドタンパク質をどんどん排除すれば良いわけではないのですね。

西道 やっぱり複雑なんですよね。これは現時点では大きなブレークスルーが必要な難しい課題です。ミクログリアのなかでも病気で悪いことをするミクログリアとか、良いことをするミクログリアとか、その一つひとつの細胞の特性をメッセンジャーRNA*3を調べることで同定できるようにはなったんです。 でも本当はそれが実際に脳内に存在する立体的な状態で観察したい。普通、特定の細胞のふるまいを観察するには、その細胞の表面だけに存在するタンパク質を認識する抗体を結合させて、蛍光物質で光らせ可視化するんです。ところがそれぞれの種類のミクログリアを抗体で認識する方法がまだないんです。

竹内 解明を進めるためには、もう一つ革新的な方法が必要なんですね。

西道 そうですね。グリアの研究については、大きなブレークスルーが起これば、新しいことが分かってくるという局面にあります。また細胞死が起こる前の過程の研究も必要です。例えば、アルツハイマー病で最初に細胞死が起こって萎縮が始まる海馬という脳部位は、位置情報を記憶します。だから患者さんにおいては空間記憶に問題が出て、徘徊したりするようになる。ところがアルツハイマー病モデルマウスで調べてみると、脳内のゴミが溜まって炎症が起きていて、それを掃除するミクログリアがものすごく活性化されている状態なのに、海馬のニューロンは死んでいなかった。しかも空間記憶にはすでに異常が出ている。つまり細胞死は起きていないけれど、すでに海馬のニューロンの機能はおかしくなっている、というわけです。

竹内 脳にアミロイドのようなゴミが溜まっているという状態自体が、脳機能に影響を与えているということか。

西道 実は前臨床性アルツハイマー病でも、後半になると主観的な認知能力の低下というのが出てくるんですね。恐らく軽度認知障害を示す5年前とか10年前から始まっていて、その時点ではアミロイドは溜まってはいるんですが、タウは溜まってないし、細胞死も起きてない。でも本人は、最近ちょっともの忘れが多いとか、人の名前が出てこないとかを意識している状態です。アミロイドPETでアミロイドの蓄積を見てみると、大体50代から始まるんですね。だから50歳を過ぎると、私もそうですけれど、芸能人の名前が出てこないとか、アルツハイマー病とまではいかなくともちょっとした兆しっていうのはありますよね。細胞死が起こる前の過程を研究することで、こういう初期のもの忘れ予防法の開発にもつながると考えています。

基礎研究は未来への投資である

竹内 日本でのアルツハイマー病に対する研究費が、アメリカと比べてもう桁違いに少ないということを聞いて衝撃でした。日本におけるアルツハイマー病による経済損失15兆円に対して、その研究費は0.04パーセントの60億円でしかないと。これはもっとパーセンテージを上げないといけないですね。

西道 アメリカはこの数年間、アルツハイマー病研究に関しては非常に熱を入れていて、資金もあるので色々な分野から参入してきている。そうなると新しい成果も出ますよね。日本は資金も少なくて、若い研究者が入っていくポストすらない。アルツハイマー病に対する国家的な負担が15兆円と算出されたのが2015年ぐらいのこと(厚生労働省と慶應義塾大学による発表)。恐らく2050年には50兆円になると思います。団塊の世代が80歳を過ぎたらアルツハイマー病の患者数はものすごく増える。だからタイムリミットは本当にあと10年前後しかない。

竹内 もう10年しかないとなると、本当に急ピッチで進めないと。今まさに国をあげてアルツハイマー病や認知症に取り組んで欲しい。

西道 日本で研究するメリットは、遺伝学的な観点ですが、日本が比較的単一民族で構成されているということです。アメリカなどは本当にいろんな民族が混じり合っている。もちろん社会的には人種的多様性はとても大事なのですが、疫学的には遺伝的に多様性がありすぎると臨床研究のデータにどうしてもばらつきが出る。だから遺伝的背景が比較的似ている集団を対象にした日本ならではの研究を行うことはとても意味がある。

竹内 日本は今、国として科学技術への資金が本当に少ない状況ですよね。今回の新型コロナへの対応を見ていても、今までは僕の中では日本って科学技術先進国というイメージがあったんですが、2021年に入ってもまだ国産ワクチンの実用化までは進んでいないという事実。これはかなりショッキングでした。

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西道 わかります。日本は過去の感染症、SARSやMARSの際にあまり影響を受けなかったということも影響していると思います。だから今回のコロナを割と甘く見ていたかもしれない。あとは、結核が克服された当時、「感染症の時代は終わった」といった論調があった。そうなる感染症の専門家を目指す研究者は必然的に減りますよね。ワクチン接種にしても、日本はちょっとズルくて、イスラエルやイギリスの接種の状況をある意味、治験として位置付けて、その様子を見ながら接種を進めるという体制でしたよね。

竹内 今回を教訓にして、例えば次に何かパンデミックみたいなものがきたときに、日本はワクチンをいち早く作れる国になるんでしょうか?

西道 物事の良い面を見れば、各国のコロナ感染症対応と比較した時に、日本が科学技術、パンデミックへの対応の分野で後進国になってしまう、あるいはすでになってしまったという危機感が生じたと言えるんじゃないでしょうか。だから感染症研究に対する予算が増える可能性はありますよね。ただ、今や研究開発はグローバルに競争と協調を行うべき時代ですから、研究者が研究費だけに言及することは、視野が狭く発展的ではないと思います。たとえば、今回のコロナウィルスでは、日本でも使用されているビオンテックとファイザーが共同開発したワクチンの有効性が明らかになった時点ですぐにライセンス契約を行い、国内生産を開始するという方法もあった。また、研究を進めるだけでなく、日本発の優れた研究をもっともっと世界に発信し、アピールしていくことも日本の基礎研究発展や各国との共同研究促進のために、今後さらに重要になると思います。

幸せな老いとは、そして幸せな認知症は可能か

竹内 「攻殻機動隊」というSFアニメがあって、科学技術が発展した世界で人間の脳は“電脳”につながれるんですね。身体もサイボーグとなってまさに不老不死の世界。電脳の世界では忘却はないのでもちろん認知症、アルツハイマー病もない。現実では、イーロン・マスクが展開するスタートアップ事業Neuralinkからの報告を見ていると、人間の脳とコンピューターをつなぐってもうすでにSFじゃないな、未来が急に近づいてきてリアルになったな、という気もします。一方で、加齢や老化を生物として避けられない現象ではなく、ある意味病気ととらえて克服しようという研究も進んでいると聞きます。そんな現実と未来が混ざり合ったような話を聞いていると、一体人としての幸せって何なのか、人間って、人生って何なのかっていうことも考えるんですよね。

西道 私も「攻殻機動隊」見たことあります。脳以外の身体パーツは全て交換可能という設定でしたね。映画「マトリックス」にも影響を与えたそうです。現代神経科学で流行のBMI (brain-machine interface)に通じる「唯脳論」的な考え方に基づいていているのだと思います。

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竹内 脳至上主義というか、言語、意識、文化、世界の全てが脳の仕組みを投影したものである、といった考え方ですよね。

西道 そうです。現実はそんなに単純ではないですよね。先ほどお話ししたパーキンソン病の原因物質であるα-シヌクレインもそうですし、アルツハイマー病研究においても、脳の病態や機能が「腸内環境」の影響を受けていることが分かっていますし、生物はもっとホリスティックなシステムです。そして、天才と言われているドイツの哲学者マルクス・ガブリエルは、著書『「私」は脳ではない』で唯物論的神経科学を徹底的に批判している。人にとっての幸せ、人生の価値や人間という存在自体はいったい何なのか、私のなかにはまだ答えがないですね。「宇宙とは何か?」と同じくらい難しい問いだと思います。個人的には、心、思考、情動、行動、全てが脳から生まれるものであるという神経科学の狭視野性に気づかせてくれたマルクス・ガブリエルが提唱する「21世紀の哲学」の今後の展開がヒントを与えてくれるかも、と期待しているところです。また、哲学だけでなく、倫理学的な視点も同じように大切だと思います。

竹内 脳科学は本来、人文学、心理学、哲学、倫理学をも含む本当に広い学問であり研究分野ですよね。そして、すごく深くて難しい。でも人類としては宇宙もそうですが、本能的に探求したくなる。

西道 まさにそうです。でも研究成果を追いながら哲学書を読むのは正直骨が折れるんです(笑)。アルツハイマー病関連論文は年間約2万報発表されますからね。

竹内 そんなにたくさんの研究が報告されているのですね! アルツハイマー病の研究は難しくとも日々進んでいる。自分のこれからを考えると、老化を克服するのは無理だとして、自分なりに幸せに老いていくことができたらいいなとか。

西道 私なんかは、80歳になったらもういいかな、とか思っているんですよね。そのときが来たら愛する人と一緒にすっと静かに人生を辞することができたら幸せかなって。でもそのときになって相手が嫌だ、私はもっと生きる! とか言う可能性もありますよね(笑)。日本認知症学会で“フレイル”という概念が話題になっていました。直訳すると虚弱という意味ですが、加齢により心身が少し衰えて生活に若干の不具合のある状態、例えばちょっと筋力が衰えて歩くときによろよろするとか、そういう状態のことを指します。身体的側面に加えて、精神・心理的な面、社会的な面がさまざまに影響しあい加齢によるフレイル状態を起こすと考えられているそうです。

竹内 なるほど。加齢や老化での状態を多面的にとらえるといった概念でしょうか。

西道 そうです。そこから何かをきっかけに、寝たきりや要介護状態へと進行してしまうことがある。フレイルの状態で転んだとします。人間って倒れると怖いから、横に倒れてしまうんですが、横に倒れると大腿骨の根っこを折っちゃって、それで寝たきりになっちゃうんですよね。そこから認知症が一気に進んでしまう。そうなる前に総合的な支援を行って、フレイルの状態から健康な状態へ戻していこうという考え方です。

竹内 今からでも具体的な支援策を講じることができそうですね。「アリスのままで」という主人公の言語学者が若年性アルツハイマー病を患う映画がありました。突然若くして劇的に認知機能が落ちてしまうのは、本人も、周りもすごく悲しいことだと思うのですが、加齢に伴うアルツハイマー病の場合、自覚しながら静かにランディングするのも良いのかなと。アニメのように電脳化してアルツハイマー病を完全にないものにできなくとも、アミロイドやタウの溜まり具合を遅くしたりして、何とかふわっとソフトランディングするような、人間らしい疾患との付き合い方をめざした未来でもいいのかなって。

西道 そうですね。聖マリアンナ大学の精神科医・長谷川和夫名誉教授*4は、長谷川式認知症スケールという認知症検査法をつくられたのですが、ご自身が認知症になられた。それでもすごく知的で穏やかなんですよね。認知症になったから何もできないというわけではないんです。もちろん個人差があるので、認知症になって暴力的になるケースもありますから、そういうケースをなんとかする必要はあります。学会での報告などを見ていても、特に医学系の研究者には、発症後の精神症状をいかにコントロールするか、いかに穏やかな状態、認知症だけれども幸せな状態にするか、というところに着目して研究されている方もいます。

竹内 いつまでも記憶があり続けるのもどうなのかな、もしかして少しずつ忘れていくことも幸せなのかも、とか。この度合いをうまくコントロールできたら、それも素晴らしい克服の仕方の一つなのかなと思ったり。昔の嫌なことだけ忘れて、楽しいことだけ覚えていられれば最高ですけど(笑)。

西道 普通は逆ですよね(笑)。私はよく寝ている時に辛かったことを思い出して、飛び起きることがあります。確かにうまい具合に忘れて、良い記憶だけで長生きするのも幸せの一つの形ですね。現在、「アルツハイマー病を克服する」という共通の志を持つ500を超えるグループと共同研究を行っています。その結果、次から次に予想外の成果が得られることに加えて、国境を越える友情が生まれました。これは本当にありがたいことであり、研究の場を与えていただいた理研とそこへ導いてくれた故・伊藤正男初代脳科学総合研究センター長に心から感謝しています。アルツハイマー病を完治させる、完全に予防する、というのはもちろん最終ゴールですが簡単ではないのは確かです。患者さんとそのご家族の苦悩を少しでも減らして、その人なりの幸せな人生を全うできる世界に近づけるよう、これからも研究を続けていきます。

西道さんが薦める今日からできるアルツハイマー病対策
●質の良い睡眠
睡眠は脳内のゴミの除去に重要という報告が。いい睡眠は脳も体も回復させる
●歩く
毎日5000歩から10000歩を目安に。ただし、年齢や個人差あり。60歳を過ぎたら少し減らしてもよい。一番大切なことは、膝・股関節等を痛めないこと、怪我をしないこと。寝たきりになると、認知能力低下が一気に進行する場合あり
●有酸素運動
水泳などは心身をリラックスさせるのでおすすめ
●肥満を避ける
塩分、脂っこい食事は少なめに。血管の老化は血管性認知症とアルツハイマー病双方のリスクを上昇させる。因果関係は明確ではないが、中年期の肥満がリスクを上昇させるとの報告あり
●高血圧を避ける
肥満とあわせて、血圧の管理も大切。高血圧も血管性認知症とアルツハイマー病双方のリスクを上昇させる
●糖尿病予防
糖尿病はアルツハイマー病のリスクを上昇させる。ただし、I型の場合や遺伝的に発症しやすい場合は、適切な治療が必要
●適度なお酒
1日に1~2合までの日本酒やワインは比較的リスクを下げる効果ありとされているが、臨床医によっては禁酒を勧める場合も
●ピアノなどの楽器の演奏
手先を使う作業は認知症予防になると言われている

<注釈>
*1 アミロイドPET: アミロイドに結合する放射性化合物ピッツバーグコンパウンドB等を用いたPositron Emission Tomography (陽電子放出断層撮影)

*2 アルツハイマー病バイオマーカー開発に関する参考文献
長寿医療研究センターの取り組み
島津製作所の取り組み

*3 メッセンジャーRNA:
生物の設計図であるDNAから複製された、特定のタンパク質に関する遺伝情報の「写し」にあたる分子。このメッセンジャーRNAをリボゾームという細胞小器官で読み取って、タンパク質が作られる。

*4 「認知症になることができた」息子が語る父・長谷川和夫の姿


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今夜の研究者 西道隆臣(さいどう たかおみ)
理化学研究所 脳神経科学研究センターにて神経老化制御研究チームを率いる。
宮崎県出身。少年時代は大工工事の観察が趣味。高校時代にアメリカニューヨーク州に留学し1学年飛び級することに。東京大学大学院薬学系研究科博士課程修了、薬学博士。
趣味は読書とフードのついたパーカーのコレクション。
Twitter:@takaomi_saido

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Barのマスター 竹内 薫
猫好きサイエンス作家。理学博士。科学評論、エッセイ、書評、テレビ・ラジオ出演、講演などを精力的にこなす。AI時代を生き抜くための教育を実践する、YESインターナショナルスクール校長。
Twitter:@7takeuchi7

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