日記をつける事で自分を振り返る
日記をつけるようになり8年目になりました。もともと5年日記から始めたので、現在2冊目です。
今日は「日記をつける事で自分を振り返る」をテーマに書いてみようと思います。
○書き始めたきっかけ
始めたのは2016年、子供が幼稚園の年長さんだった頃。
最初のきっかけは「日々の記録(子供の成長記録)を残す為」でした。
それが次第に変化していき、離婚を想定した当時の夫の浮気とモラハラの記録をつける事になっていきました。
○当時の生活
日記を始める1年ほど前、夫は仕事でうつ病を発症し休職。本人の希望で自宅療養をしていました。
メンタルクリニックの医師から私への指導は
・夫には好きな事をさせてあげること
・生活態度の乱れは、多めにみてあげること
というものでした。
私はそれまでもひとりで担ってきた家事育児をしながら休職中の夫の為に昼休みは自宅に戻り、ご飯を食べさせて服薬管理をし、また仕事に戻るという生活を送っていました。
子供は当時、まだ幼稚園児。夫には希死念慮があり目が離せなかった為、子供2人のお世話をしているようでした。
当時働いていた職場からは簿記の資格を取るよう言われ、会社が申し込んだ商工会議所主催の夜間講座にも通っていました。子供を夫に見てもらうことは安全上無理なので、近くの実家に預けて講義が終わったら迎えに行って…という日々でした。
○帯状疱疹を発症
そんな生活は、私にもかなりのストレスをかけていたのでしょう。ある日、ふと見ると自分のお腹に見たことのない発疹や痛みとかゆみ。皮膚科に行くと帯状疱疹との診断が出ました。
皮膚科からは「毎日患部に電気を当てに来るように」と言われました。後遺症(痛み)がでないようにする為という事でしたが、普段の生活をこなしながらの1ヶ月の通院もまたしんどい事でした。
○夫の仕事復帰に伴い、さらにおかしくなった家庭内
約3ヶ月の休職を経て夫は仕事復帰。ただし鬱が治ったわけではなく、通院と服薬を続けながらの復帰でした。
A市からC市へ勤務先は移動となり、自宅から公共交通機関で通うようになってからは不振な行動が徐々に増えていきました。
これまでもモラハラめいた行動は常にされ続けていましたが、それもだんだんとエスカレート。直接言葉では言ってこず、ほぼLINEで送られてくる長文の攻撃。返信しないと次々に送られてくるメンタル攻撃の文面。
「何か返信しないと。でも変な文章で送れば火に油を注ぐ結果になる。どう返信しよう。」
…同じ家にいてこういう事がずっと繰り返されてきたので、自然と家庭内別居状態になりました。夫VS私と子供という構図です。
夫と顔を合わせるのが苦痛でしかなく、それでもやるべき事は満載で。
町内会活動は毎回子供と二人で参加。はじめは「ご主人は今日こないの?」と聞いてきた方々も、何度も続くといつしか聞いてこなくなりました。
一ヶ月に1回は顔を出さねばならなかった義父母宅。行くのはいつも私と子供だけ。険悪な日々なのに、何もなく平和な家庭のように振る舞わねばならず、行き先不明の夫の事を訪ねられるたびに「仕事です」とごまかしたり。
夜中に外出したきり帰ってこなかったりもするので、物音に敏感になり眠れない日々が続いていた事なども、当時の日記に綴られています。
誰にも話せない中、困り果てて離婚経験のある友人に相談したところ「私は記録を日記に残してモラハラの証拠に使った。あなたも書き殴りでもいいので記録していった方がいいと思うよ」とアドバイスを受けました。
そこからは「夫の不振な行動を記録する」という内容に変わっていきました。
○数々の記録と自分自身の内面整理
そこから約2年かけ、夫からの仕打ちや子供に対する態度などを記録しました。本人は上手に隠しているつもりでも、同じ家に住んでいるので怪しいものやおかしな事には嫌でも気がついてしまいます。
ある日、私の不在時に子供と寝泊まりしていた部屋を家捜しされたような痕跡がありました。そこからは日記を見つけられないように隠しながら記録を続けました。
日常を日記に書き留め、自分自身の感情や思考を整理し、それにより「離婚したい」という意思もどんどん固まり、自分一人で子供を育てていく為に生活費を稼ぐ事に力を注いでいくようになりました。
そして数年後、とある事件を夫が起こし、離婚をする事になります。
当時の事を思い出すのは今でも苦しく、遡って読み返すとしんどくなるのであまり見ないようにしています。
○綴る内容の変化
離婚後、日記に記録する内容は少しづつ変わり、主に子供の成長記録と時々元夫から送られてくる相変わらずの攻撃LINEの記録などになりました。
そこから数年、今度は私が職場の上司のパワハラで苦しむようになり、当時受けてきたひどい言葉や行いなどを記録するようになりました。
パワハラは人の心を壊していきます。体調があまりにひどく、全然治らず悪化するばかり。睡眠も1年程しっかりとれず、体が悲鳴を上げていました。通っていた病院から心療内科を薦められ通院。気がついたときには鬱病になっていました。そこからは鬱病に関する闘病日記も加わって行きました。
○鬱発症と再婚と退職
私の働いていた環境は少し特殊で身内ばかりの会社。社長交代に伴い、私にパワハラが起きるようになります。社内でおきたパワハラ等を相談しようにも、相談できる人も見方も誰もいない環境だったので、心療内科の医師からは「これ以上悪化する前に退職した方がいいのでは」とアドバイスを受けました。
ただ、シングルマザーで仕事を失うという事は生活の糧を失うという事につながります。休職も薦められましたがそれもかなわず、抗うつ薬を飲みながらの出勤は非常につらいものでした。
当時、再婚を前提におつきあいしていた方がいたので子供の終業式を待って再婚。退職に反対していた身内には再婚も反対されましたが、これを機に退職と転居をするという事でなんとかこの会社を脱出する事ができました。
当時受けたモラハラの記録は日記に綴られています。けれど、身内の会社なので訴えることすらできません。
それでも日記に綴っていたのは、記録はもちろんですが、鬱と向き合い、再婚や退職と向き合い、自分と向き合い、今後どうしていくのが自分にとって最良の選択なのかを模索していたからだと思います。
○まとめ
私の書いているのは「5年日記」。2冊目。
自分の生きてきた記録はもちろんですが、5年分を1ページで見ることができるので「前年の同じ日に何をしていたのか」「何を考えていたのか」「どういった事が起こっていたのか」などを一目で見ることができます。
まだ同じところであがいている日もあれば、少し成長できている自分に気がつく事もあります。
鬱病に関しても少しづつしか治っていないので日々の実感はありませんが、改めて読み返すと「去年の同じ時期は字も読めなくなっていたんだ」とか「今は大丈夫になったけど、バスにさえ乗れなかったんだ」と改善されている症状に気がつくことができます。
また、再婚してからは夫と子供と3人での生活をまだまだ模索しているので「去年は毎日言い合いしてたけど、今は少し落ち着いてるな」「この時期は私が不調で家族に迷惑かけたから、今年はもっと気をつけよう」など新しいジャンルの気づきも沢山あります。
自分を振り返ることで気がつく沢山のこと。
少しずつの積み重ねで、人としても成長していけているのではないかと考えます。
これからも続けていこうと思います。
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