かんしゃ
子どもの頃から歯がネックだ。虫歯だらけの小・中・高校生時代を過ごし、一念発起して「完治するまで歯医者に通う」と気を決したのは30代に入ってからだった。それまでのわたしは「自分はいつも虫歯を持っている」ということに慣れというか、「それはどうしようもないこと」と思い込んでいた。とにかく苦手なのだ。ドリルの音、治療の痛み、そして患者に寄り添ってくれない歯科医。歯医者は「叱られる場所」として刷り込まれていた。
極端に怖がるので、「子どもだってこのくらいの治療は素直に口を開けるんですよ!」とキレらたこともあるし、「ここまで放っておいたんだから自業自得です。我慢してください」とハッキリ言われたこともある。もっと遡ると、小学生の時「この歯とこの歯が痛いです」と言ったら、鼻で笑われて「あなたの親は一体なにをしているの?」と言われたことがトラウマになっている。治療の痛みもさることながら、いつも心がズタズタになる。
負のループ。虫歯になった→歯医者で叱られる→途中で行きたくなくなる→中途半端な治療でまた状態が悪くなる→痛む→仕方なく通院再開→また叱られる→自尊心がズタズタ→また状態が悪くなる→「神経をとります」「抜きます」→わたしはダメな人間だ
子どもの頃、「アンネの日記」を読んだ。怖い描写がたくさんあったが、一番印象に残っているのは、一緒に隠れ家生活をしていた人が虫歯の痛みに耐えかねて、親戚の歯科医に治療をしてもらうくだりだ。先の尖ったピンセットか何かで虫歯をえぐられ、その痛みで逃げようとするが、ピンセットの先が刺さったまま取れない、というエピソード。もう、その痛みの想像はつく。そして耐えられない恐怖。わたしは無理。そのままショックで死ぬかもしれない。
昨日、割れた奥歯の治療をしてもらった。「痛かったら言ってくださいね」と言われたけれど、最初から無理だった。首を横に振ったら「ですよね。これは息をしてもしみると思います。かなり神経に近いところまで割れてますね」と歯科医が言ってくれたことが、本当にありがたかった。状態を見て、痛みをわかってくれる。「麻酔をしましょう。結構痛いと思いますけどちょっと我慢してくださいね」と言われて覚悟を決める。注射で麻酔を打つ前に表面麻酔の液体を塗るのだが、これが剥き出しになった神経にしみるのだ。「ヒー」とかすれた声が出る。「はい、もう少しですよ〜。がんばって〜」と言いながら、歯科医はグイグイ注射を打つ。めちゃくちゃ痛い。
しかし、わたしの心は感謝の気持ちに溢れていた。ありがたい。麻酔の痛みくらい、なんてことはない。麻酔も打たずにピンセットでえぐられることを考えたら、医学の進歩とその治療を受けられる時代に生きていることが奇跡だ。さらに、この街に住んでいなかったらこの歯科医に巡り会うこともなく、「歯科医」のイメージは変わらないまま、虫歯や歯周病で苦しむ日々だったかもしれない。
麻酔が効くと、その後の治療は少しも痛くなかった。「はい、終了です」の声がする。「麻酔が切れるとまた痛みますか」と聞くと「そうですね。数日間は痛いかもしれませんね。でも、できることは全部しました!」という答え。最善を尽くしたという意味だろう。ホッとする。ありがとう。
帰り道、麻酔が切れはじめ、痛みがじわじわ戻ってきたが、わたしは、神様仏様歯医者様そして生きとし生けるもの全てに感謝をしながら空を見上げた。また噛むことができる幸せに浸っていた。
ほんと、歯は大事。