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うたがう

オットが久しぶりにラーメンを食べたいと言うので、希望の店に行った。
初めてではないが、前回来てからもう10年以上経つ。こんなに人が並ぶ店だったか、と驚いた。

店内の様子も、味も、全く覚えていなかった。厨房の位置は反対側にあったような気がしていたし、味はもっと淡白な感じだった気がしていた。

記憶とは曖昧なものだとわかっているのだが、時間と共に自らが脚色しているのかもしれない。

子どもの頃に飲んだ、淡いグリーンの飲み物の味が思い出せないが、それが美味しかったことは覚えている。あれはなんだったのだろうかと思い出そうとするが、全く手がかりがないまま、何十年も経ってしまった。そして、今日の出来事から、わたしは自分の記憶を疑い始めている。

今までで美味しかったと記憶しているものは、どれも美味しいことには違いないだろうが、無意識のうちに加点しているのではないか?

先日、母と20年前に北海道旅行をしたときのことを話していたら、母が「あんまり美味しいものはなかったね」と言う。「うそ!札幌のジンギスカンも小樽のお寿司も美味しかったじゃない?」と聞けば、母は、「魚があんまり美味しくなかったよ」と答える。たしかに、毎日魚を食べて育った母だから、ジャッジは厳しかろう。でもやっぱり、なんだか記憶違いをしているのではないかと疑っている。

文字に残すか、写真に残すか、と考えたら、やはり事実は写真だが、主観は文字だと思う。書いて残すのが大事だな、と思ったが、ふと
曖昧な記憶のままでいいものもあるかもしれないとも思った。

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