アガスティアの葉っぱ
先日TV番組の開運法や占いを語るコーナーでさっしーこと指原莉乃が「インド人占い師がこの世の全てを見れる葉っぱを持っている」「10万課金した」とか言っていたので、耳を疑った。
それって90年代に大流行したアガスティアの葉! 今の日本でも占い商売として生きていたとは…。
90年代。私も青山圭秀のアガスティア本を読んで盛り上がっていた。当時オカルト系の本を読むのが好きだったけど、なかでも青山氏のアガスティアの葉の概念には心惹かれるものがあった。
ライト層向けのスピリチュアル系の著作は、多くが読者に甘い。ポジティブシンキングなんて言っちゃったりして、鏡に向かって「私は可愛い私は何でもできる」とかなんとか言っとけば運が良くなるとかそんな。「念ずればなんとかなる」というお手軽ノウハウの世界観。たぶんその方が読者ウケがいいんでしょうね。まー私もお手軽ノウハウ好きだけど。
しかしアガスティアの葉は違った。なんとなく冷徹である。
古代インドの聖者アガスティアがこの世のすべての情報を葉っぱに書き記したという。個人の両親の名も結婚時期や相手も、そして死期も。言うなればアカシックレコードが葉っぱになったようなもんじゃないか! と当時の私は夢想しました(あくまでも個人の感想です)。ガチガチの宿命論ですよね。
運命は変えられないという宿命論。
救いがないね。…というか解決策を提示しない。例えばアナタがある日鏡に向かって「私は可愛い私は何でもできる」と唱え始めたとしても、それはそういう宿命。それが効いたとしても効かなかったとしても、それもそういう宿命。
そこまで潔く割り切れれば逆に救いになるような気もする。もうすべてをお任せします、というような。私はそういう境地にも少し憧れます。
しかしそういうピュアな宿命論は占い商売にならないのであった。
宗教ならもしかしてOKかもしれないけど占いじゃ難しい。
現在のアガスティア占い関係のことをちょっと調べてみたら、やはりガチガチの宿命論での商売はしていないようです。業者が葉っぱを探してやって依頼者に悩みがあるなら解決策を提示してやって代金を貰う感じかな。そりゃその方が儲かるに決まってるか。みんなお手軽ノウハウを求めてるし。信じるのは自由だけどなんかロマンがないような…。
まあそんなややこしいことは置いといて。
今の自分がアガスティアの葉を見たいかと言われればNo。だってもう一生分の葉っぱが最後の一枚(死期と死因)しか残ってないかもしれないから。
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と、オチをつけた後になんですが、出版界でアガスティアの葉が売れた後にアガスティア論破本も出てました。それも面白かったので興味ある方は調べてみてくださいね。