【047】規律委員的な人の行動に感じる「居心地の悪さ」の正体
単なる独白と言うか、つぶやきです。
会社を含めた、さまざまなコミュニティの中で、自然とルールを守らせる規律委員のような役割が発生することがあります。
時折そいういう規律委員的な人の行動に、若干の居心地の悪さや違和感を感じることがあったのですが、その正体がなんなのか言語化ができずにもやっとしていました。
ある時「ほぼ日」で糸井重里さんと中田敦彦さんの対談の記事の中に、そのもやっとした気持ちを代弁してくれそうな発言を見つけました。中田さんからの「チーム作りでやったことって何なんですか?」という問に対する糸井さんの答えのコメントです。
規則を守る人が、規則を守っていない人に文句を言うことは”価値の上下”になるというのは、私のもやっとした感情にとても近い気がして、なるほどと思いました。
ルールを守らせる人が上から目線になるのは当然だと受け入れていたけれど、そこに暗黙の上下関係ができていることが気持ち悪さの根源だったのかも。
そしてつい最近「バカと無知/橘玲」という本の中でも、これをさらに説明してくれる記述に遭遇しました。
なるほど、違反者を処罰することは快楽になると。
これでさらにもやっとした感情が説明されてスッキリしました。
ルールを守らせる人が時折り気味悪く感じるのは、それらの行動が自らの快の欲求、あるいは上下関係構築が無意識の動機になっているからだと理解しました。当の本人にその自覚はないと思いますが。
ちなみにこの「バカと無知」の中では、ネットで炎上が起きるしくみも説明されています。SNSなどの炎上に加担する人は、特定の芸能人や著名人に対して「正義の鉄槌」を喰らわせることによって、快感を求めているのだと。
ルールや規律の番人として使命感に燃える人も、SNSの炎上に便乗して正義感に燃える人も、個人的にあまり好ましくないものとして見ていたのですが、ルーツが同じだというのは、妙に納得です。
自分は、脳の報酬系の奴隷にならないように気をつけようっと。
だって格好悪いんだもの。