奈良帰省日記③~母と歩く3万歩~下山から王寺駅まで、そして・・・~
母と王寺町の明神山へ行き、一人「聖地巡礼や~」と浮かれて下山。
そのままハイキングコースを歩き、王寺駅まで戻ることにしました。
これ国道のめっちゃ交通量が多い道の一本内側に入ったところ。
右が国道です。
さすが、奈良の道は細い。
実家の前の道も細くなるのですが、地元民の私でも「前から車来ませんように」と祈りながら、運転します笑
昔々は馬が通れればよかったからでしょうねぇ。
達磨寺
こちらも小手鞠るいさんの小説に出てくるんですよねぇ。
中にはさまざまな達磨がありました。
見るだけでもおもしろいかもしれません。
達磨寺のお隣にカフェがあったので、休憩することにしました。
いや~、もうフルパフェ(そんな言い方するんかな?)は食べられなくなってきました。
ソフトクリームもミニがあったら、そちらを頼んでしまいます。
成長してますね~。年取ったとも言う。
休憩後、王寺駅まで歩きます。
雪丸ロード
王寺駅までは「雪丸ロード」となっていて、ところどころに雪丸の足跡があります。
こういうのがカワイイ。
池部駅で下車
無事王寺駅に着いた時点でおそらく2万歩は超えていたのですが、なぜか池部駅で下車することに。
朝乗った、箸尾駅よりも一つ手前の駅です。
今、Googleマップで検索したら、実家まで徒歩42分と出てきた!
箸尾からは25分くらいでした。
母の行きつけ、馬見丘陵公園
母は池部駅の無料駐輪場に自転車を停め、そこから電車に乗っていました。
池部駅には馬見丘陵公園という広い公園があり、母はよく歩きに来ているのです。
おそらく私にお花を見せたいのか、案内したいのか、そんな雰囲気だったので、一緒に公園を散策することにしました。
もう私の足はパンパン、筋肉痛確定(実際に翌日はひどい筋肉痛でした)でしたが、1月、「歩く気さえ起こらない」と話していた母が回復したのが嬉しすぎて、付き合うことにしたのです。
しばらく母と歩き、道がわからないので、途中までは自転車を押しながら帰路につきました。
堤防直前で「もうわかるやろ」と母は自転車で先に帰宅。
私はとぼとぼと歩きました。
おかえり川西
ここは保田という地区で、私が通っていた唐院小学校(今はない)は唐院、保田、なぜか三宅町の小柳という3地区から子どもたちが通っていました。
朝は小柳を通過したので、これで小学校の全校区を歩いたことになります。
もうへとへとでしたが、ちょっと寄り道をして小学校のときの通学路を通って帰ることにしました。
昭和感?平成感?がまだ残っていますが、子どものころにあったお店はほぼ無くなっている。
遠足のお菓子を買ったり、マンガ雑誌(りぼん、なかよし、ちゃお、ひとみ、ぴょんぴょんとか買ってもらったからうちはお金持ちだったのかもしれない)を買った駄菓子屋さんは2店ありました。
うちの前はタバコ屋さんだったし、その隣は薬局。
みたらし団子を売っていた文房具屋さん。
お祭りの日だけ連れてってもらった銭湯。そのあとで着物着せてもらった。
魚屋さん、酒屋さん・・・。
みんなもうない。
やっぱりさみしいですが、時代の流れとしてしょうがないのかもしれません。
実家を離れて約20年。
今は遠くに離れていますが、やっぱり大好きな場所であり、こうやって帰ってこられるのはありがたいことだなと思います。
両親も元気でいてくれるし、姉家族も近くにいる。
私はやっぱり幸せなのだと。
お墓参りは欠かさない
帰省の度に翌朝必ずお墓参りをします。
えらいねってことではなく、私は祖母の葬儀に出なかったから、そこから習慣になったという感じです。
またどこかで出てくるお話かと思いますが、ガラパゴス旅行中に祖母が亡くなったのです。
いつもお墓の前で思うのが、こうやって戻ってこられる場所があるのは当たり前ではなくて、誰かが守ってくれているからなのだと。
また戻ってこられるように、しっかり生きないといけないし、感謝もしないといけない。
どこに行こうと、どこに住もうと、私は自分が自信を持ってここに帰ってこられるように日々を過ごさなければならないのだと。
帰省日記、ほぼ終了なのですが、今回楽しみに帰った理由の一つがまだ紹介できていないので、次回はそれで。
お読みいただき、ありがとうございました!
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