これからの目標。 にじはな🌈はベビーシッターとして、保育士をしていきたいです。 鬱病となり、保育園を退職しました。その頃から、漠然と感じていました。 私に預けたいって思ってくださる方々に、もしも出会えたなら、子供もママさんも安らげる保育をしたいって思っていました。子育てを楽しめるような援助をしてあげたいです。大きな集団では、なかなか難しく、もどかしく思っていました。 保育園は24年間経験しました。その中で幼稚園を2年間、経験しました。 子供達や保護者様から、良いことも悪いこ
現在は、放課後デイサービスに勤めていますが、保育園を退職してから、様々な職場を転々としてきました。この様々な職場については、またゆっくり書いて行こうと思っています。 障害者生活介護の仕事をしていたときのことです。大人の方の生活介護施設でした。こちらは、8ヶ月で退職することになるのですが。 職員関係良好で、勉強熱心な素敵な職員さんに囲まれ、仕事をさせていただいていたのですが、ご利用者様の日々の他害が怖くなり耐えられなくなってしまいました。壁は穴が空き、ドアや窓の破損、他害が始
凸凹(でこぼこ)な障害。とかいう言葉、聞いたことありますか? 私はあります。 障害についてあまり知らない私にとっては、綺麗に感じる言葉というか、美談というか、言葉の意味がわからずいたと、今のにじはな🌈は思います。 現在は、発達の凸凹さを目の当たりにするお仕事をさせていただいている毎日。 この凸凹(でこぼこ)を生きている子供達に日々、教えられているにじはな🌈です。 可愛くてたまんない! ありがとうって、思います。 支援していて、時々、傷を負うこともあります。つねる、噛
にじはな🌈は、まだまだ勉強不足で、障害の専門的用語等、わからない知らないことがたくさんあることに気がつく毎日を過ごしています。 日々、勉強です。 専門的用語がでてきて、「〇〇だから、この子はこうなんだ」と、話をされても、ピンとこないのです。 保育士的な視点ですが、私は発達段階でお子様を感じます。 子供達を支援していて、10分後には変化し、また5分後には違う変化がある。そして、その1分後には、またまた変化しているのです。 これが凸凹なんだなと、思いました。 あ、この
障害のある方々は、幼いときから様々な療育を受けています。 にじはな🌈は療育というものを知らず、その療育を、初めて見たときには衝撃を受けたのを覚えています。 こんなことがありました。 にじはな🌈の施設に通うお子様の保護者様が、他の施設にも通っているのですが、そちらの施設での療育方法を抗議する事案がありました。 保護者立会のもと療育されたそうです。それを見て、その療育は「やり過ぎではないか」と、支援員に訴え、涙されたそうです。 様々な専門分野の先生というものが存在します。
我が子の保育園送りから職場出勤の遅刻する時には、こんな症状も、ありました。 車に、我が子がいるのです。 はい、今、保育園におろしたはずの我が子が。 具合悪くなってくると、「ママっ」と、可愛い声が聞こえてバックミラーを見ると、我が子が座っていて笑っています。 すぐに停車して後ろを振り返りますが。 いません。 不思議でした。 その途端にハンドルに突っ伏して、落ち着くのを待ちました。 助けてくれてたのかもしれないと、今では思います。ただの、幻覚症状だったとしても、そう
遅刻の続きです。 保育園で我が子を預け、それから職場に向かいますが、すでに遅刻です。 息切れ、ドキドキしながらで、体調悪く。 休みながらいきますが、道が分からなくなって、県を超え、他県のコンビニに停車してハンドルに突っ伏していたこともありました。 もう、わけわからないとは、この事ですね。 職場から電話がかかってたのにも気がつけず。もう、ほんとに分からなくなって、家族に助けを求めた日もありました。職場の園長先生が、迎えに行くからそこにいてと、行ってくださいましたが、そんな事は
倒れる前、必死に働いていました。今思えば、たくさんの症状が出ていました。身体が悲鳴をあげてSOSしていたのに、当時のにじはな🌈は自分を大切にしませんでした。 我が子が保育園に行っていたので、車に乗せて我が子の預け先保育園に行きますが、いつもの時間にでるのに、そこでまず遅刻。時間が守れなくなってました。どうしても遅れてしまいます。 車で15分の道のりを2時間かかることもあったなぁ。 途中で、気持ち悪くなったり、息切れしたりして、その度に車を停めて、自分を落ち着かせてから、また出
寝たきりが続き、仕事は行けません。強制的なお休みでした。 職場では、お休みが取りづらく、自分や家族の病気看病で休むと、菓子折り持ってお礼する儀式もありました。 自分のための休日を取るなんて、あり得ない、お休みは、悪。というイメージです。上司からも、おばあちゃんはいないの?シッターさんに頼めないの?と、言われます。残業できないと、仲間はずれの雰囲気です。 よく耐えたなぁ。 寝ていても、仕事のことが頭から離れません。 一週間過ぎたころだったかな、病院へいかないかと家族から話
突然倒れた話からの続きです。 膝から崩れ落ちる瞬間、頭が真っ白になりました。白くなるって本当なのですね。その後、帰宅することになるのですが、駐車場まで歩いたところで、また真っ白になり。砂利の上で、必死に電話し、家族に迎えにきてもらいました。 無理してたなぁ。 なんで、あんなに頑張っていたのだろうと、今のにじはな🌈は、思えるのです。 そのくらい、パンパンに頑張っていました。無理していました。 その夜から、完全寝たきりになりました。涙がとまりません。頭が石のように重く、寝返
にじはな🌈の、目標とは。 夢とは。 希望とは。 鬱からぬけだそうと、これまで頑張ってきました。少しづつ、少しづつ、過ごしてきました。 辛かったな。 もう、この一言です。 にじはな🌈の鬱病の道を書いて行こうと。これを誰かが見てくれて、たった一人、勇気が湧いてくれたら嬉しいです。
皆様、今日も1日お疲れ様でした。 今日もにじはな🌈、働いてきました。 脳疲労感が半端ないです。障害のある子を育てている保護者様、本当に尊敬します。 全てにおいて、配慮が必要な子供達と24時間365日一緒に過ごすということがどんなにか大変なことか、私には想像がつかないです。にじはな🌈の働く疲労感なんて、ちっぽけなことなんだと、気付かされます。 今日もたくさんの笑顔に出会えました。優しい気持ちになりますね。 今の環境に感謝です。
そして、軽く自己紹介しますね。 にじはな🌈、現在50歳。母親しています。 倒れてから、随分月日がたちました。8年かな〜。 現在、放課後デイサービスで保育士をさせていただいています。障害のある、小学生から高校生までのお子様を放課後にお預かりする施設です。 このご縁に感謝しかない毎日。子供達の笑顔が、たまらなく可愛くて。 障害ってなんだろう。 そう、思うのです。 なぜなら、にじはな🌈は、「手帳をとりましょうか」というところまで鬱病にのみこまれてしまっていました。手帳をとって
倒れた次の日から、寝たきりになりました。頭と身体が布団にくっついて離れません。毎日、毎日、涙がでてとまりません。 本当に起き上がれなくなってしまったのです。 適応障害からの、鬱病でした。 ここから、長い長い、トンネルに入ることになり、保育園を退職をするとは、そのときは思ってもみませんでした。一週間くらいで、治ると思っていたのです。 人生、何が起こるかわかりませんね。まさかの坂道を自分がころげおちるとは。 でも、この鬱病が、神様からのプレゼントと、今は思えるのです。 ありがと
突然に倒れるってあるんだ〜。と、今振り返って思います。 保育園での保育士時代、休憩がおわって仕事に戻る時、突然に頭が真っ白になりまして。 膝から崩れ落ちました😀 仲間が脈を取ってくれてるのを感じながら、、、そこからの記憶がありません。 今振り返ると、この時が、 虹色保育士、にじはな🌈誕生👶✨だったのかもしれません。 人生がひっくり返りました。 神様ありがとう。 私を倒れさせてくれて。
はじめまして。 虹色保育士、にじはなです🌈 今日から、日々の思う事、今までの思った事を素直なままに書いて行こうと思います。 はじめの一歩です☺