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「限定合理性」を知ると、人にも自分にも優しくなれる

雑談の中で経歴を訊かれて、いわゆる「社会人生活」をした期間が短いことに呆れられた。私は就職活動をせず、当時の言葉では「プー太郎」としてバイトを掛け持ちした。当時スポーツにのめり込んでいて、競技を続けられることを最優先にしたからだ。そのことを思い起こして、今日はいわゆる「限定合理性」ということについて思いを馳せた。

限定合理性とは…認識能力の限界によって、限られた合理性しか持ち得ないこと

その決断はどちらかというと、意志で決めたというよりも、そうしないと納得のいく人生にならないからという強迫観念のようなものだった。人には甘いと思われるかもしれない。でもその時の、若くて限定的な視野の私には、それが最善の選択だったんだ。後からはいくらでも言えるけれども。

私たちの意志決定は、実は意志なんかじゃなくて無意識や感覚で9割決まっているらしい。論理は後付けだ。そう考えると、人生で何度か「そうせざるを得ない」ような感覚に引っ張られて、(無茶な)決断をしてきた自分は、より野性的だったのかもしれない。そして人からどう見られようとも、それは人間としては幸せだったといえるのかもしれない、などと振り返っているのんき者だ。

高齢の知人が、独居していた友達のことを不憫がっていた。「あの人は風呂に入っていて死んだんだと。かわいそうだな」と。でもその人は、もしかしたら慣れない施設入居をこばんで、住み慣れた田舎の我が家で、好きな時間にものを喰い、風呂に入ることを選んだのかもしれない。それがやむにやまれぬ、その人の選択だったのかもしれない。発見はむごかったかもしれないが、それは本人が納得した最期ならそれでいい。人にどういわれようとも。

そこから連想したのは、ちょっとびっくりされるかもしれないけど、若い頃にガイコツの頭を発見したときのこと。
川ののり面下の、朝日のあたる小道を気持ちよく歩いていたとき、ふと道端にガイコツがあったんです。きれいに骨になってて、ぜんぜん不気味ではなかった、でもこれきっと人だよね、という感じだった。
警察に届け出て捜索を待った。おそらくはそののり面の木で、自死したものが月日が経って、そこまで転がってきたものだろうと後から言われた。

その経験も、なんというか、限定合理性の中で本人が納得した最期だったんだろうと思っている。そしてきれいな姿になってから、見つけてくれよと出てきたんじゃないかなと。手助けできてよかったと、心に残っている。

どんなに狭い了見の中でも、そのときに最善と思える道を自分で選んで、いや人のせいにせずに自分で選んだのだとあきらめて(明らかに見て)、生きてきたと思えれば幸せなんじゃないないかなと、今日はそんなことを考えました。



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