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22年間身体障碍者として生きてみた

こんにちは、今日は少し重めの話をしたいと思います。先日22歳の誕生日を迎え、イギリスでの留学生活も残り2ヶ月となりました。課題もひと段落したのでノートを書きます。他者に共有する話題でもないと思うのですが、記録程度に。

実は私は、先天性の身体障碍を持っています。とはいっても車椅子生活とかではなく、海外でひとりで生活できる程度の軽度の障害です。日々の生活の中で注意しなければならないことは多々ありますが、ひとりで暮らすことには困りません。

しかし見た目が他の人の少し違い、周りより極端に身長が低かったり、足や腰にわん曲があったり、歯が弱くもろかったり。ほかの人とは違う見た目の箇所が少しあります。小さい頃は周りとの違いに悩みましたが、20年以上も生きると人って慣れてくるんですね…。いまだに初めて会う人との会話は緊張しますし、受け入れてもらえるかななどと怖くなることもありますが、幸いにも普通に接してくれる友達に囲まれているので、緊張するのは最初の時だけで済んでいます。

話は変わりますが、私は幼児教室でアルバイトをしています。小さい子どもは2歳から。子どもは苦手なんですけどご縁があって2年ほどお手伝いをさせてもらっています。

では、なぜ子供が苦手かと言いますと、それは素直すぎるから。「先生、どうして身長が低いの?」「(私の歯を見て)先生ちゃんと歯磨きしてる?」など知らなさすぎる、素直すぎるがゆえにまっすぐの言葉を投げかけてくるんです。幼少期の私は同級生のこのような言葉に傷つきながら成長し、大人になった今も子どものこのような言葉に悲しくなることがあります。

とはいえ子どもたちを攻める気持ちは全くなく、何なら自分が障害を持っている大人として子どもに接していることを誇りに思っています。人の容姿のちがいについては触れてはいけない、世の中には障害がある人もいる、という頃は幼い子供には理解できないものです。

しかし、彼らが数年後何らかの機会にそのようなことを学習した際に「そういえば、小さいときあんな先生がいたな。」と思いだしてくれたらいいななんて思うんです。2歳から5歳の子どもたちに「世の中には障害を持っている人がいてほかの人と違う見た目をしている人がいるんだよ」という話をしたとしても、その話しの本質を理解することは難しく、それよりも「どうしてあなたはほかの人と違う見た目をしているの?」という興味や好奇心が勝ってしまうと思うんです。そういう彼らの純粋な疑問に今は真摯に答え続けることが今私ができることなのかなと思います。

ときれいごとを言いつつも、彼らが数年後それを学習するまでの数年間は悲しい気持ちをぐっと抑えて我慢する必要があるんですよね。でも「そんなこと言っちゃだめだよ、もう言わないで」というのではなく、彼ら自身が数年後に気づき、私の存在を思い出すことが本当の学びになるのかな、彼らの今後の優しさが生まれるきっかけになるのかなと思うと私自身も救われる気持ちがあります。


ほかの人と違う容姿で生きていくことは本当に大変です。少しの単語で傷つくこともあるけど、自分は傷ついていないとだましだまし生きて、私はほかの人と一緒だ、と洗脳しながら強く生きていく必要もあるんです。そんな人生を生まれたときからしているのですが、20年以上たった今も慣れることはないです。幸いなことに私の周りの人たちは障害を気にせず、分け隔てなく接してくれていて私自身は感謝の気持ちでいっぱいです。私は、自身に障害があるので同じような障害を持っている人の気持ちをある程度推し量ることができると思いますが、私の友人はとても優秀な人が多いのでそうでなくても想像力を持ち、私の気持ちを察してくれています。本当に大切な友人です。

私は今イギリスで生活しているのですが、障害に対する考え方やが進んでおり、差別なく人に接する姿勢が日本よりもはるかに進んでいます。当事者が感じるのでこれは紛れもない事実です。困っている人がいたら必ず手を差し伸べる、障がい者ではなく個人として接する、雇用の面などでも人々が生きやすい環境がはるかに整っています。

私は日本でこれから就職活動をしていく予定なのですが障害を隠して就職活動をしていくことは難しいと思っていますし(飲食のアルバイトだけでも5個くらい落ちてる・・)、だからと言って障害を隠さずに就職活動をしていくのも大いに難しいと思います。健康な成績Aの人と持病がある成績Aの人、同じ枠を争うとしたら企業としても健康体で仕事をこなせる人を雇いたいですよね。私は海外で仕事をしたい気持ちもあるのですが、海外駐在を言い渡す際にもわざわざ医療費がかさむ持病持ちを赴任させるとも思いません。

20年間身体的な苦痛以外にも苦労ばかりしてきた人生でしたが、これからの方がさらに険しい道が待っていると思っています。正直日本で就活がスムーズにできるとも思っていないですし、サクッと結婚もできるなんてサラサラ思っていません。私にもしも好きな人ができたとしても、そのご両親は大切に育てた息子が障害がある子娘と結婚するって言ったら反対するんだろうなって思っています。

だから私は何も欲張らないし、夢も見ない。現実的には就職できたら御の字、実家を出て一人で暮らせたらもう親孝行。好きな人ができてお付き合いができたらこれ以上ない幸せです。私が将来の夢を「お嫁さん」と言ってるのは冗談でもなんでもなく、心の底から思っている、人より何倍もハードルが高いそれを叶えたい、という本心なのです。でもそれは無理だと理解しているので、それを冗談ということにして、他人や周囲の環境に期待をせず、自分で粛々と人生を歩んでいくのです。

明日もアルバイトに行きます。子どもの純粋さに怯えながら仕事をこなします。新たな出会いに少しだけ怯えながら、親しい友人に感謝する、これ繰り返しながら22歳が終わり、アラサーに突入して、寂しい独身30代が訪れるのだと思います。

22歳も素敵な一年になるように頑張ります。
最後まで読んでいただきありがとうございます。



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