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『君たちはどう生きるか』 アオサギ・インコ・ペリカン・石・・・が意味するもの
それぞれのモチーフをこんな風に受け取りました、という会話になります。(な)がななこさん、(り)がわたしです。
セキセイインコ
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(な)映画を観た後のファーストインプレッションでは、セキセイインコは大衆とか世論を表しているのかなと思った。王様は世論を代表する立場の人で、そういった「外野」があれこれ余計なことを言ってきて世界が崩れてしまうことを揶揄してるのかなと。そこで少し調べたら今作はジブリ単独出資だということを知って。アニメーション業界の構図にあてはめるなら、インコの王様=スポンサーや製作委員会を表しているのかな。そう捉えると、彼らが本当に作りたかった作品をぶち壊してきたことが過去にも多々あったのかな。じゃあ今回はというと、逆に純粋なジブリや宮崎駿が伝えたいことが形になっているのかなと思った~🦜
(り)わたしもインコは大衆の象徴だと思いました。アニメ―ション業界のことと、あと、社会のことを描いているとも感じていて、社会のはなしという意味ではインコは行き詰まった民主主義の姿を感じました。インコを選んだのも、どこかで聞いた言葉をそのまま繰り返すからそうしたのかなぁ。勇ましい見た目をしているのに、中身は空っぽで早とちりなインコが王様に立つのも意図があると思います。
(な)インコは何も自分の頭で考えていない国民で、アオサギや王様の行動に一喜一憂する様子もそうだし、食欲旺盛な描き方も、次から次へと人の不幸とかゴシップをエサにしてる傍観者のように見える。(コンテンツ制作の観点だと、コンテンツをあまり何も考えずただ流行りものとして消費する飽き性でミーハーでバカな人たち、という皮肉にも見えた)
アオサギ
![](https://assets.st-note.com/img/1692624474716-cMXZzhaveB.png?width=1200)
(り)アオサギはTwitterだと思いました。冷笑主義で、残酷なフェイク文化。(偽物のお母さんを眞人につくって見せてしまうシーン。。)簡単に他者を見下してしまうのにとても未熟。
(な)アオサギ=Twitterはたしかにそうだと思うし面白い!青いし。笑
一見シュッとしてて仲間と群れないクールなアオサギの仮面を被っているけど、中身は野暮ったい弱々しいおじさん、というダサい描き方もまさに、Twitterで四六時中ツンツン誹謗中傷してくる人たちの集合体に感じるなぁ。
(り)わぁ、そうですね、最初のアオサギの印象はかっこよくて、何かしらの化身かと思っちゃったのですが。ハウルの鳥の姿みたいな。声も中身も小出しにされていくうちに綻びが見えてきて、あれれれ、なにこれ?ってなったのを思い出しました。
ペリカン
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(り)社会の話に立ったとき、ペリカンはテロリストかなと思いました。ヒミがペリカンとワラワラに火を打つシーンはシリアへの空爆を連想しました。テロリストは認められないけれど、彼らがそうなってしまった社会がまずある…
(な)ペリカンがテロリストも納得だなぁ。空を高く飛んでも戻ってきてしまうのは、地政学というか有限の土地を取り合う状況とも重なるし、眞人がヒミさんにやめろ〜って言ったのは、理想主義であり、戦争を自分ごと化できてない平和ボケした先進国のようにも思えた。。
(り)有限の土地と眞人の平和ボケ。たしかに、そうですね。。あとこれは深読みしすぎてしまったかもしれないのですが・・・ヒミは「京アニ事件」で亡くなった方とも重なるのかなと思っていました。
ペリカンをテロリストと捉えたときに、そのテロリストと戦うヒミの姿や、お別れのシーンでの「眞人を産めるならすばらしいこと」「火は怖くない」というヒミの台詞は、あのとき亡くなってしまった方に対して、アニメーションの道に進んだことを讃えたい、という駿の気持ちがあるのかなと思いました。
そして、あんなにも苦しい最後だったなら、ほかの道に進ませてあげればよかったと、ご遺族の方は思われるのかもしれないけれど、それでもその人生を歩んだことをどうか肯定してあげてほしい、というメッセージかと思いました。きっと駿たちにとっても、同じ道を行く人をああいうかたちで失うのはほんとうに辛かったんじゃないかなと思います。
(な)わあー…京アニの話はたしかに。。作品に込められたメッセージとして、表や裏とか、裏の中でも色々なメッセージが含まれている前提で、ファーストインプレッションでは宮崎駿の自伝的な作品で、日本のアニメーション業界のことをストレートに描いている気がしたんだけど。そういった観点でも、京アニの事件を作中の空襲の被害に遭った病院として捉えると納得感があるなぁ。。。そう思うと心の底から惜しいと思っているのが伝わってくるね。。。
アニメーターの仕事は過酷だし、もっと安定した仕事に就いてほしいと思う親も多かったかもしれないけど、彼らはそれでも自分の進みたい道を選んで幸せを見つけて生きてたんだよっていうメッセージなのかもだね。
ワラワラ
![](https://assets.st-note.com/img/1692624800206-vGmYJbdelm.png?width=1200)
(な)ワラワラはみんなが考えたアイデアたちで、それが少しずつ育っていって、満を持して生まれることなのかな、もしくは、アニメーターのたまごや一人前になろうとしているアニメーターのことなのかも、と思ってたの。そして良いアイデアを生み出すためには、内臓=人生で直面するエグいこととか、本質に迫ることも含めて、向き合うことが必要なのだよって教えなのかなと思って。
(り)なるほど、なぜ食事が内臓だったのか、きっと確かな意味がありますね。眞人がうまく魚をさばけなくて、内臓をからだに被ってしまうシーン、ちゃんと汚く描かれてましたもんね。えぐさ。そうかも。
(な)そのアイデアたちがペリカンたちに襲われて結果的に犠牲になってしまったのは、過去にアイデアがスポンサーとか製作委員会との関係でボツにされたとか、実際そういうことがあったのかなーとうっすら思っていたけど、あのシーンももしかして京アニの事件と関係してたりするのかも、、、。
インコが大衆、インコ王様が製作委員会やスポンサーだとしたら、ペリカンとインコは絶対別ものとして描いていると思うから、きっとちょっと解釈が間違っているんだろうな。
(り)ペリカンはワラワラを、パソコンの消しゴムのカーソルを動かすみたいにすらすらと丸呑みしていましたよね。簡単にボツにされちゃう姿に思えます。それにぺリカンはぜんぜん表情がなかったですよね。感情が見えないというか。ちょっと怖かったです。あの無表情さには、特別な意志があるわけでもないくせに、こっち(駿)がだいじにしたいものを、いとも簡単にボツにしてくる・・・みたいなことも意図していたのかなぁ。
石
(り)最後の石は、駿の作品だったり、『君たちはどう生きるか』の原作のメタファーかと思いました。眞人があれを持って帰ってきたのは、いつか忘れてしまうんだけど、でも、それらがどこかで生きていくことへの願いということかなぁ、と思いました。
(な)ね!その最後の石を持って帰ってきたけど、いずれ忘れていく、というのが、宮崎駿のやり方とか信念にリスペクトしてくれている人たちもいずれ忘れてしまって、いつか血が薄くなっていくみたいなことなのかなと感じて。
駿引退宣言…?涙
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(な)それと同時に過去のいろんな作品のオマージュが随所に出てきてたことを再度思い出して、さらに自分の小さな頃に観てきたジブリの思い出がフラッシュバックしてきて、エンドロールで切なさがMAXになった。。。
宮崎駿を継ぐような人が居ない、けど色んな人が色んな影響を受けて色々な世界を創っていくことへの激励であって、事実上の引退宣言なのかも〜と感じて、より一層切なくなった🥺
時の扉
(な)あと最後に、自分で扉=生き方を選択できることを象徴しているよね。それまで、石の扉を開けるのも、夏子さんを探してるのも自分の意志ではなく「お父さんが好きな人だから」って言ってた眞人が、最後の方では勝手に石持って帰ったり、ぐんぐん進んでいくところが、前半のじれったさとの対比になっていて。この作品色々な見方ができるのだと思うけど、現代社会として捉えた大きな構図や、制作業界における構図とか。いずれにおいても、自分の周りで起きていることを改めて捉えて自分の道を決めることの難しさと、難しいけど今目の前にある確かな幸せなこと・素敵なことを大切にして進んでいく生き方を素敵に描いてくれた気がしました。
(り)そうですね、悪意や諦め、卑しさの色が描かれた4人(眞人、アオサギ、夏子、キリコ)があちら側の世界に行くのですが、物語が進むにつれ彼らのなかにある人情や優しさが見えてきましたよね。もうほんとどうしようもないわたしたち・この世界ですが、でも、それでもひとのすばらしさを侮ってはいけないよ、ここに賭けて生きようよ、という希望を受け取りました。
ヒミ
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(り)わたしはヒミの言葉がだいすきで、死ぬことがわかっていても、「眞人を産めるなんてすばらしいことじゃないか」と生きることを選択するのですよね。とても苦しいことが待っているとしても、この世界だから得られるすばらしさを握りしめて生きていきましょう、と。
おしまい
こんなにぐぐぐっと背中を押してもらえることがあるなんて・・・と感じた夏の映画でした。それなのに、映画でも描かれていた「いつか忘れてしまう」ということが切なくて。はじめてこうして文字起こしをしました。読んでくれた方、ありがとうございます。