神社紹介:厳島神社(神奈川県横浜市)
お久しぶりです。
たまにやってくる神社紹介。
私の神社ライフ始まりの地である、ここから始めたいと思います。
横浜市の中区羽衣町という場所に鎮座されております。
ぷちコラム:地名の話
ここ横浜市の繁華街、関内という場所には昔、関所がありました。
開港当時に出来たものですが、関所の中(馬車道のほう)が関内、関所の外(伊勢佐木長者町のほう)が関外というように分かれております。
なので、関外地域のほうなのかな。
横浜と聞くと「格好いい! すごい!」みたいなイメージがある方もいらっしゃるかもしれませんが、私含め横浜育ちに聞けば、そんなことはないですよと多くのハマっ子が言うに違いありません。たぶん。
横浜はその昔【横浜村】という、ただのひなびた漁村でした。
あの一帯はすべて海だったわけです。
それをとんでもなく苦労して埋め立てて、大きい田んぼを作って食糧事情を賄ったりしてました。(学校の課題で当時詳しく調べた)
歴史でご存じの通り、ペリーさんが来てから横浜は港町として発展し、現在オシャレぶって……んんっ、いえ、まあ全国的にも名前が知られる地域になりました。
まぁ横浜はそういう経緯もあって、街の歴史ってモノが開港してからある感じなんです。日本の鉄道のはじまりなら、ともに歩んできたんですけどね。
ビルの合間に見えてくる神社
JR&横浜市営地下鉄関内駅から徒歩5分くらい。
車がぶんぶん通る鎌倉街道沿い、近くにイゼザキモールっていう、ストリートがある、賑やかなところ。
(龍が如く7の舞台になっている場所です。雰囲気はだいたい合っています)
周囲は高いビルに囲まれている一角に、その神社はひっそりとあります。
周囲の環境的に割とうるさいにもかかわらず、中は静かな神社です。
こちらのほうが(個人的に)わかりやすい、大きな鳥居を目にしますが
これは二ノ鳥居で、じつは正面ではないんですな。
こちらから見た、ビルの間にあるような道(そんなに狭くはありませんが)を通っていくのが正面にあたります。
私は横の参道(一枚目の写真)からのほうが、通いまくっていた経緯もあり親しみやすいので、正面から改めて撮ると、なんだか別の神社みたい……。
しかし神社にも歴史あり。当初は洲干弁天社でしたし、この場所でもなかったのです。
祭神とは?
神社好きの方々にはとてもおなじみだと思いますが、このnoteではじめて出てくる単語、御祭神です。
もしも万が一、このnoteで神社仏閣のあれこれを知ろうとしてくださっている方がいらっしゃったとしたら、説明義務が私にはありますね。
御祭神とは、その神社で祀られている神様のことをいいます。
そのまんまなんですけども、実は神社も一柱(神様は【人】と数えるのではなく、【柱】と数えます)だけがいらっしゃるわけではありません。
数柱祀られている場合、一番中心となる神様を主祭神と呼びます。
というわけで、あらためて。
御祭神は現在、宗像三女神と呼ばれる三姉妹の女神さまを祀っております。
また神様について詳しくは後日やりましょうか。(忘れていなければ)
こちらは元々は弁天様を祀っておりましたが、明治時代に神仏分離という法がございましてね……。弁天様をお祀りできなくなりました。
実は当時の名残が、実はまだ残っております。
鳥居の扁額(神社の名前が書いてあるところです)を拡大してみましょう。
【横濱辨天】ってありますでしょう?
三女神のなかで、市杵島姫神さまは弁天様と同一視(全く別の方々なんですけども! 神仏習合は説明ややこしいのォ……)されていることも多く、弁財天をお祀りする神社には、御祭神として市杵島姫神さまが祀られているところも多いです。江島神社とかもそうかな。
写真を撮りにいったのは今年の冬頃でしたので、今だと少し人通りが戻ってきている頃なのかしら。
手を合わせて、皆様が健やかなお気持ちで参拝できますようにとお祈り致しました。