#1_学校でフルタイムで働きながら不妊治療をしていたときの話
フルタイムで教員をしつつ、不妊治療を続けていたときの話をシリーズで書こうと思います。今回は初回2019年、不妊治療を始めるようになったきっかけと、タイミング法を行っていたときの話です。
※今回の話では不妊治療や妊娠、出産について書いていきます。ご自身の心や身体の健康を鑑みながら進めていただければと思います。
きっかけは突然に
きっかけは突然やってきた。2019年3月。
突然つわりのような症状がやってきたのだった。
それは春もまだ感じられない、寒い日のことだった。
な、なんか気持ち悪いよ⋯
いつもだったら来る生理が少し遅れている。確かにそろそろ子どもがほしい。そんなことを思いはじめたときのころだった。
結婚して1年。前の年の12月にスペインに新婚旅行に行った私たち夫婦。
「それまで子どもができたら困るもんね〜」なんて呑気なことを言いながら、低用量ピルを避妊のために飲んでいたくらいだった。
今思うと妊娠しにくい体だったから、飲む必要ももしかしたらなかったのかもなんて、ちょっぴりブルーな気持ちになる。
が、その当時はそんなこと知るよしもなかった。
私は当時、結婚してきて1年。東京に香川の小豆島という離島からやってきてようやく環境にも慣れ、職場でも楽しく過ごしていたときのことだった。
「なんか、いつもと違う気がする⋯」と生理が少し遅れたので期待半分妊娠検査薬を薬局で買ってきて、人生で初めて試してみると
「え、陽性?!!私たちのところにもかわいい赤ちゃんが来てくれるの⋯!!」
それを聞いた夫は、実感がわかない様子だった。「とりあえず病院に行ってみよう」そう言いながら、
るんるんした気分と、ドキドキと、でもそれを上回る気持ち悪さで人生で初めての気持ちを抱え、婦人科の門戸を叩いた私だった。
え、化学流産・・?なにそれ・・・
病院に行き、採血を済ませ結果を聞きに診察室に呼ばれる間も、
気分は「えっと男の子かな?女の子かな?職場にはいつ言おう⋯!」そんな先の期待を考えながら、結果を待っていた。
呼ばれると同時に先生が、
「えっと、妊娠はされていないみたいですね」
え、血の気が走る。え、でも症状としてつわりみたいなの来ているし、どうしよう?え、妊娠検査薬も反応してたけど、あれは何?そんな言葉は頭を巡っていた。
先生にそのことを尋ねると
「こういうことってよくあるんですよ。大抵の人は気づかないことも多いです。化学流産ってやつですね。受精はしたけど、うまく着床(赤ちゃんが子宮に入っていき育っていくこと)はしていないみたい。」
うまく言葉が入ってこない・・・
「え、流産?私赤ちゃんいなくなってしまったの?ご、ごめん・・・」涙が溢れて出てくる。
女性としての何かが、突きつけられたような気持ちになった。
もともと身体のことを無視して生きてきた私
もともとあまり体を無視して、生理が来るも来ないも気にしたことがないくらい仕事に明け暮れていた。
20代小豆島で働いていたときは、毎週のように部活の遠征にでかけ、夜な夜なお付き合いで飲み歩く日々。(呑めないのですが、楽しいお付き合いとして行かせていただいていました)
睡眠時間なんて4時間とかの日もザラだった。気づけばこの辺から私の体は静かに悲鳴をあげていたのかもしれない。
でもそんなことには気づかないくらい、とにかく仕事が楽しかった。
生理も来てたら良いやくらいに思って、ガンガンやりたいことをやってきた。婦人科に通ったこともほとんどなかった。
そ、そんな私がまさか流産だなんて・・・
正式な話をすると、化学流産は一般的な流産ではない。だから流産として正式にカウントされるわけではない。
でも私の中では「もしかしたら、赤ちゃんが育ちづらいのかもしれない」そううっすら悪い予感がした出来事だった。
ここから2年間もまさか、子どもを授かるまでにかかるなんて知らずに。
婦人科での検査スタート
この件をきっかけに不安に思った私は、不妊治療をはじめた方が良いのかもわからなかったので、妊娠しやすいかの基礎チェックだけでもすることにしてみた。
この検査自体はいろいろある。クラミジア検査といった感染症のもの、超音波、血液検査、卵管検査といって卵子が通ってくる卵管が異常なく貫通しているか細い管を通す検査もあった。(これが地味に痛い)
毎回検査に行くたびに「健康な体なのに、どこか悪いところがないかを調べられている」感じがしていて、行くたびにどんよりした気分になった。
しかも当時はフルタイムで教員をしていた。教員は残業も多く、病院に通うのもやっとだった。
無理を言って定時に抜けさせてもらって病院へ通う。検査で1時間待ちなんていう日も多かった。
でもそれを超えるくらい、赤ちゃんが欲しかった。私は子どもが好きだから、学校現場で働くことを決めたくらい、子どもが好きだった。
我が子となるときっと喜びも大きいだろうな、と思うし、自分に子どものいる人生を味わわせてあげたかった。夫にも子どもがいる生活、子どもがいることの喜びを味わわせてあげたかった。
もしかしたら内心「子どもができない=女として失格、女としてダメ」というレッテルが貼られることが何より怖かったのかもしれない。(これはあくまで私の主観です)
だから痛みに過度に敏感でも、採血で卒倒したことがあり苦手でも、頑張って検査は受けた。
検査結果は異常なしだが・・・・
検査結果は大きな以上はなかった。ほっと一安心したところだった。
ただ、1つ先生から言われたことがあった。それは私はひと月に卵子が多くできてしまうという症状があるということ。
これは「多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)」という症状で、一度に多く卵子ができることで、1つずつの卵子の質が下がってしまうことで着床しづらくなるという不妊の原因になる要素の1つだそうとのこと。
このときははっきり言われなかったのだが、体外受精専門の病院で見てもらうと、はっきりと「このせいで不妊の原因になりかねません」と言われてショックだった。
まずはタイミング法から
まずは不妊治療の基本、タイミング法から初めてみることになった。
不妊治療はいろんな進め方があるが、主に日本ではこの4つらしい。
タイミング法とは、私の排卵周期に合わせて、夫婦でタイミングをとるというなるべく自然に近い妊娠方法だ。
妊娠しやすい人だと、一回タイミング方法をとると、16~19%妊娠するそうだ。
私もこの当時は「妊娠しやすいだろう」とたかをくくっていたので、まだまだ不妊治療をなめていた。
年齢も考えて(当時はまだ29歳だったが)、自然に妊娠を考えているなら、早い方が良いという医師のすすめで、知識も経験もないなかでの不妊治療を始めることにした。
当時は2019年。今でこそ不妊治療をする人も増え、国としても保険適用を進めてくれたり、会社によっては不妊治療への理解があるところも増えた。
でも当時は周りにあまり不妊治療をしている人も見つけられず、孤独のはじまりだった。
タイミング法の難しさ
タイミング法は夫婦での協力、話し合いがすごく大切だ。
これは不妊治療全てに共通するかもしれないが、妊娠=女性だけのものではなく、夫婦での話し合い、心のケアなどいろんな方面で夫婦のパートナーシップ、信頼関係、協働関係が試される。
タイミングを取りたくても、主人の仕事の都合と合わないこともあった。
「今日はお願いします」となっても、主人のタイミングも当然あるものだ。
お互いの「赤ちゃんがほしい」という気持ちがすれ違っているのか。
子どもに対しての価値観が違うの?
え、私だけが子どもがほしいって思っているのかな?なんて思いながら、布団で悶々としたり、涙を流す日も少なくなかった。
そうこうしているうちに、タイミングをとれずに1ヶ月がすぎ、また生理が来る。そんな月が何回か過ぎていく・・・
<続く>
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