人生物語12.父骨折で入院生活が始まる
私が知り合いの家に預けられていた時に、先生から「朝日さん!お父さん階段から落ちて肋骨折れたって言ってるけど知らなかったの?」と、父が家の階段から落ちて肋骨を2本骨折し救急車に運ばれたと先生から伝えられました。学校には家から通わずに知り合いに預かってもらって、そこから学校に通っていることは内緒にしていたので、救急車に運ばれても気付かないってあまり有り得ない話ですが、父から先生に私は寝たら起きないのでいつものように寝ていて起きなかったから兄が対応してくれたと話してました。
学校にある公衆電話で父と話して詳しい事情を聞きました。
少し遡って以前野良犬の柴犬メリーちゃんがいましたが、ある日突然にいなくなり行方不明になって帰ってくることなく数年が立ちました。その後に私は高校3年の時にあ預かってくれていたクラブのお姉さんからマルチーズを譲ってくれていてそのマルチーズで事件が起きました。
名前はエンジェルちゃん!超お嬢様風でプライドが高くいつもお高く留まってる感じ。ヤンチャな遊びや、はしゃいだりしない子でした。そう思うと元飼い主のお姉さんに似てるかも?エンジェルちゃんにとっては父が一番のご主人様で大好きなのに対して、私は彼女の下(笑)いつも「う゛~」と言われてました😅
溺愛していた父とそれに従うエンジェルちゃんは相思相愛のようにべったりだったので、エンジェルちゃんはいつもご主人様(父)が帰って来るのを待ちに待っていて「ハチ公か❗️」と言いたくなるくらい玄関に座っていて気配がしたら興奮冷めやらずでした。
当時は、2階の階段付近にいたので下に降ろそうとした時、階段が怖いからか恐々近づいていて、父は酔っ払っていたからなのか足を滑らして階段から落ちてしまったそう。それで肋骨を2本折ってしまって入院することになったとのことでした。
怪我的な外傷なのでそんなに心配はないから兄にお任せして、私はそのまま実家には帰らず最後まで預かってもらった先から学校に通うようにして間もなくして無事に卒業を迎えました。
卒業後は、お金を貯めて将来は家を出たいから即夜の世界のキャバクラで働きながら家のことも少ししながら学校に行くと言う生活になりました。父は入院していて食事の用意はしなくてよく、兄たちはいるのですが学校の宿題も多いから、家の食事はほとんど各自でとなっていてそれは許されていたように思います。
そんな時、骨折が治った父は生命保険に入っていたので入院の間は保険金が降りることに味を占めてしまい、そこから仕事をしなくなりました。
長男は成人しているし働きにも出ていて、次男は間もなく成人する年でしたが同じく働きに出ていたので給料をもらっていたから父が働かないと食べて行けない訳ではなかったのですが、私の専門学校の学費は父と兄とで出してくれたみたいで(最近まで知りませんでした)多少厳しい状態でもあったと思います。それに2人とも将来があるので、家族のためだけに尽くし続ける訳にもいかないからきっと複雑だったと思います。
そんな環境の中、兄たちが「トラックの横乗りしても良いから仕事に出ようや」
と言ってもなかなか乗り気の無い父。これまで10年ですが3人の子供たちのために働いていた父、少し疲れていたのと安堵の気持ちがあったからなのでしょうか、働かなくなったのは何故なのか?謎のままでした。どうしたら良いものかと兄たちは頭かかえていたようですが、それでも動こうとしない状態が続きました。
私はと言うと、学校に通いながらお金を貯めるために夜の仕事をしているので帰宅は深夜近くになり家のことはあまりしなくなりました。その時、父が仕事をしなくなったことに介入しませんでした。
働かない父の毎日の行動は、一升瓶のお酒だと飲み過ぎるからと言う理由で、小刻みに飲めるワンカップのお酒を毎日、自動販売機が動き出す5時に自転車で愛犬のエンジェルちゃんを作業服のジャンバーの胸に入れて買いに行くのが日課でした。
朝から酒浸りの毎日で、食事もあまり食べずに毎日お酒ばかり飲みます。その時に、祖母(父の母)の会話で「わしは好きな酒を飲んでこのまま野垂れ死んだらええんや」と話していたそうです。その時の年齢は48歳!まだまだ現役で働き盛りの年齢なのに何故なのか?私は父との確執あったのでまともな会話や話し合いをしたことがありませんでした。だから真意はわからないままでいます。
そして、毎日こんな生活をしていると必ず起きるのが健康を害すること。案の定、今度は身体を悪くしてなってしまい内臓が良くないと言うことで最初は肝臓が悪かったと思います。今度は内科にかかり入院する事になりました。
骨折の時も、入院したら保険金が降りるので父にとっても都合が良かったみたいです。離婚前にも一度胃潰瘍の手術で入院を経験していますが、その時は家族全員いたし私たち子供はまだまだ小さいので、正義感の強い父はまだ前を向いていました。しかし今回に関しては状況が違いまた入院生を生活を長らくすることになりました。病院は最寄りのバス停近くで比較的近いので通いやすかったです。何度も病院に見舞いに行って同じ部屋の人たちとも仲良く過ごしていました。入院はこれだけでは済まずまだまだ続きます。
続く