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人間の持つ"陰"に惹かれてしまう

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

梅雨冷の日が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。Rikaです。

本日はたわいもない雑記をお届けします。


私最近気付いたのですが、どうやら私は人の持つ"陰"の部分に惹かれる傾向にあるようです。

…え、お前は何を言っているのかって?

分かりました、具体的に説明しましょう。

これ同じような感覚の人おそらくいると思うので。

例えばそれは

古来より人は対照的な二つの物や現象、あるいは概念などを相手取って、よく対比的に語りたがってきました。実際は世の中そんなに単純な物ではないと思うのですが、そうすることで私たち人間にとっても物事が理解しやすかったためだと私は勝手に思っています。そんな対比的な構図の中でも、私はいつも陰を持つ方にどうしても惹かれてしまいます。

例えばそれは、光と影で言えば、影に惹かれるように。

陰と陽で言えば、陰に惹かれるように。

太陽と月で言えば、月に惹かれるように。

昼と夜で言えば、夜に惹かれるように。

白と黒で言えば、黒に惹かれるように。

天使と悪魔で言えば、悪魔に惹かれるように。

犬と猫で言えば、猫に惹かれるように。

要はそう言うことです。


…え、まだ分からないって?

しょうがないですね、ではもう少し説明を続けましょう。←何様


上記例を見て貰えばわかるように、私は誰の目に見ても輝きを放ってきらきらして幸せに満ち溢れている人物より、どこかアンニュイで暗く、複雑な背景を抱えていそうな人物に心惹かれます。

漫画でも、天真爛漫キャラよりも、複雑な人間性のキャラクターの方がいつも私のお気に入りキャラになります。

何故なのかは私にもわかりませんが、これは自分が何十年の人生の中で、どのような育ち方をしてどのような人格が形成されたかに所以しているのだと思います。

明るく楽しい日々を送ってきた人は、同じ陽の人へ惹かれ。

一方で悩み苦しみを抱えて生きてきた人は、同じ陰の人へ惹かれ。

そんな原理が働いている気がしてなりません。

とにもかくにも、私は陰の方に惹かれて止まないのです。

その事実を受け入れた上で、陰の持つ魅力をもう少し紐解いていきたいと思います。

その複雑さを解きほぐしたい

陰の持つ魅力。

それは一言で言えば、その複雑さにあるのではないでしょうか。

一見しただけでは分からないパーソナリティ。

その複雑さを解きほぐしていった先に、何があるのだろう。

その深淵に触れたとき、その陰の核となる部分が初めて姿を表す。

いままで複雑さで覆われていて、明確には表に現れて来ずしかしたまにその姿を垣間見せていた核。

その核に触れたとき、多面的な複雑さの中に存在する唯一にして絶対の芯が見えたようで、私は感動に打ち震える。そしてその核を見つけて以降、私はその陰を抱える人物に惹かれてやまなくなる。

ちなみに、惹かれるとはいっても、恋愛的な意味とは限らず、どちらかというと好ましいと言う意味合いの方が強いです。

「影」と「陰」の違い

影は、光が物体に遮られて、光源と反対側に現れる暗い部分。
陰は、物に遮られ、日光や風雨が当たらないところのこと。…光との関係で考えた場合は、光が遮られることで現れるのが「影」、見えなくなったところが「陰」となる。
陰は、見えないところの意味から、「陰で悪口を言う」のように、その人のいないところや目の届かないところ、「陰のある人」のように、表面には出てこない暗い面の意味でも使われる。(違いがわかる辞典,「影と蔭」,https://chigai-allguide.com/%E5%BD%B1%E3%81%A8%E9%99%B0/)

上記は、影と陰の意味の違いらしいです。

ここで、太字の箇所に注目してほしいのですが。

陰とは、"表面には出てこない暗い面の意味でも使われる"、らしいです。

この意味に、私が上記で力説していた陰の魅力が表されていると思います。

表面に出て来ないため一見しては分からないからこそ、よりそこに何があるのか知りたくなってしまう。

それはまさに、見えないもの見ようとする試み。

陰を持った人には、そういう魅力があると思うのです。

だから私は、どうしても陰に惹かれてしまうのです。

エゴでもいいじゃない

最後まで抽象度が高いまま自分の思いを書き散らしてしまいました。

この記事を読んでも全く何を言っているのか分からないとなる可能性もあるでしょう。

けれど一方で、私の感覚が分かり過ぎるほど分かる人も一定いるのではないかとも思います。

ともかくこの雑記を書いたことで、私が何故人間の持つ"陰"に惹かれてしまうのかが言語化できたため、そういう意味ではこの雑記を書いたことは私にとって意味のある行為であったと言えます。

一方でこの雑記は、私が私のために書いた雑記という意味では、ともすると他の記事よりもエゴイスティックな要素が色濃くなってしまったような気もします。

まあそんなエゴが誰かに伝わると考えると、それも表現というものが持つ魅力なのでしょう。

何はともあれ、この書き散らし雑記を最後までご高覧賜り誠にありがとうございました。







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