before.002
加藤トモコ、39歳
化粧品会社勤務、企画広報
部下からも慕われ、上司とも良好な関係を保てている。仕事も楽しいし、給料にも満足している。
とびきり美人というわけではないが、美容院とネイルは毎月かかさず予約を入れ、VIO含め全身脱毛のゴールまであと少しだ。数年前からはボトックスの力も借りてみたり、パーソナルジムに週1で通いながら、重力に抗っている。
料理は昔から苦手だ。ただ年齢と共に気づいてしまったのだ。高級料理は一口目に「おいし〜〜!!」とアドレナリンがでる。それに反し、近所のスーパーで買った食材で、クックパッドを見ながら作る料理は、食べると安心するのだ。オキシトシンがでる。今の私はこっちを求めているのだと身体がいう。
浮気は外食で、妻は家庭料理なのだろう。外食ばかりでは疲れてしまうし、家庭料理ばかりだとたまには外食がしたくなる。アドレナリンもオキシトシンも両方必要だ。そう考えると、生命バランスを維持するのは男性の方が上手なのだろうか。
私には8歳下の彼がいる。「年下の彼いいじゃん!」と言われるが、違うのだ。同世代を探そうとすると、いい男はとっくの昔に売れている。市場に出ているアラフォーは、売れ残りか、バツがついた出戻りなのだ。どちらも難がある。
だから「30歳くらいかと思った!」と、たまたまそう見えた今の彼を大切にしないといけない。
彼との出会いはありきたりだ。元麻布のバーで友人と2人で飲んでいたら、彼も友人と飲みに来ていて、連絡先を交換した。
「昨日はありがとうございました〜」
「楽しかったね。よかったら今度食事に行きませんか?」
「いいですよ、いつが都合いいですか?」
「今週末の金曜日はどうかな。19時に十番でどうですか」
「オッケーです。楽しみにしてます」
食事に行って帰り道にキスをした。その日はじゃぁねって別れたけど、なんとなく付き合うことになるんだろうなって、そんな気がしてた。
春のうららかな草原に、暖かい陽かりを浴びながら流れる小川のように
なぜ流れるのか。流れる必要はあるのか。私は流れたいのか。
そんな愚問なんて抱くことなく、ただ静かに私は流れた。
流れ出した川はゆったりと小川のまま流れている。たまにふとした石にコツンとぶつかったり、ザリガニが出てきたりもするが、そんな程度だ。氾濫もしないし、濁流もない、急なカーブもない。私はとても心地よかった。
私たちはあまり未来の話はしなかった。
私の結婚への憧れは、昔は人並みにあったが、続々と結婚し出産をする友人たちをみていると、心から結婚したいとは思えなくなっていた。
旦那の話になると悪い話しか聞かない。最初は、またまたぁとか言って半分笑い話なのかなと受け取っていたが、どうやら本気で嫌っているようだ。そんなに嫌なら離婚なり別居なりしないの?と聞くが、子どもがいるからとか自分の稼ぎだけじゃ生活できないとか、何かと理由を付けて旦那との生活を選択している。まるで旦那のワルグチを言いたいがために結婚生活を送っているのかと聞いてみたくなる。
子どもがいる人はそれはそれで大変そうだ。急な発熱に保育園から電話がかかってくる。申し訳なさそうに周りに仕事をお願いし、文字通り肩身を狭めて小走りに去っていく。残された方は仕方ないよねとわかりながらも、なんだかモヤっとする。そのモヤっと感じた自分はなんて小さな人間なんだと自分を責める。南国の、名前も知らないような小さな村のお母ちゃんたちに、この話をしたら「がははは!」と大きく口を開けて笑って「何か問題なの?」と言うだろう。問題はないがお互いにこういう気持ちになることを、どんなに丁寧に現地の言葉で説明しても、きっと伝わらないだろう。私たちは日本という島の中で育ってきたのだ。
彼は多くを語らない人だ。その分無意識に発された言葉が私の中に強く残ることがある。
その日は、2人でソファに座っていた。日曜日の午後だった。ランチに行こうと約束して外苑前で落ちあった。そのときの私たちは、ふらっと気になったお店に入ることにハマっていた。風が冷たくなり、陽の光がとても気持ちのいい季節だった。何軒かドアを開いてみたが、どこも予約でいっぱいだった。
昨晩飲みすぎてしまったという彼と、休日の朝はコーヒーを飲みながら美味しいパンをゆったり食べることに至福を感じている私の身体は、食べ物を必要としていなかった。ではお腹が空いたら食べよう、わざわざ人混みの中でお茶をする必要もないねと彼の家へ行くことになった。
彼はめずらしくテレビをつけた。ひとつのチャンネルに落ち着いた先には、田舎暮らしをしている5人家族が映っていた。犬が2匹いて、自分たちの畑で採れた野菜で晩ご飯を作っていた。よくある番組だった。
私はとくに気に留めることはなかった。採れたての野菜は美味しいだろうな、でも畑仕事は大変すぎるなくらいのことは思った。あとは、彼が田舎暮らしの番組を見るのは意外だった。虫が苦手な人だし、アウトドアを好むタイプではないから。
私は近くによさそうなお店はないかなとスマホを片手に探していた。さすがに昼も夜も「満席です」は避けたかった。
「なんかいいな」
彼からポソっと漏れた。もしかすると彼は言葉にしていなかったかもしれない。私の空耳?とも思った。ゆっくりと目線だけ彼に向けると、見慣れた彼の横顔があった。何をいいなと思ったのだろう。田舎暮らしか?新鮮野菜か?犬を飼いたがっていたから犬に向けてか?
「なにが?」と何も考えずに聞いてみたらよかったのかもしれない。
ただ私にはわかっていたのだ。
聞かなくとも、考えなくとも。
あえて反応しなかったのだ。
それを彼もわかっているのだ。
私たちにはそういうところがある。
小川は本当に小川なのだろうか。小川だと思っていたものは、模造紙にクレヨンで描かれた、お遊戯の小川なのではないか。模造紙をめくると何が出てくるのだろう。今はまだ見たくないし、見る勇気もない。