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before.008

「サンタさんって、ほんとにいるの?」

5才になったばかりの息子から不意に聞かれた。
「いるよ」と笑顔で優しいウソがつける母親ではなかった。だけど「いない」とも言えない。
「いると思ったらいるし、いないと思ったらいないんじゃないかなぁ」と当たり障りのない答えを返した。
その晩、夫に話したら「あはは、君らしいね」と笑ってくれた。「僕は兄がいたからなぁ、その年のころにはもういないと思っていたなぁ」といないことが当たり前であるかのように言った。

私は、実は中学生になるまでサンタはいると思っていた。その頃には「お母さんがサンタだって自分で言ってた」とか「うちには3年前から来ていない」とか、それぞれにサンタルールがあることは知っていた。しかし、よそはそうかもしれないけど、うちにはくるかもしれないという、淡い期待と幻想を込めた夢をみていた。

私には、6つ歳の離れた弟がいる。
ある年、母が私に聞いてきたのだ。弟のサンタのプレゼントは何がいいと思うか?と。
往生際の悪い私は、私にはホンモノのサンタがくるかもしれないと期待を込めて祈った。
もちろん、その年から私へのプレゼントはなかった。


【4世紀、小アジア(現在のトルコ)に実在した聖人、聖ニコラウスがモデルといわれています。不幸な人々を助けるために様々な奇蹟(奇蹟者)を起こす庶民の味方として親しまれていました。貧困のために身売りをしようとした娘の家の煙突へ金貨を投げ入れ、その一家を助けたという伝説は、そののちサンタクロース・ストーリーの原型といわれています。】

ここから形を変えながら今のサンタスタイルになったのだろう。どこでどうやって、いい子にしているとプレゼントがもらえる方式になったのだろうか。いい子にしていると〜という部分は、秋田県のナマハゲと通ずる。
友人のドイツ人から聞いた話では、ドイツではクリスマスにひとりずつ演奏を披露するらしい。そのために練習をしなくてはいけないし、演奏をしないとプレゼントはもらえないそうだ。
「だけどそのおかげで、ピアノ・バイオリン・リコーダーで、簡単なものなら弾くことができるよ。だってブレーメンはドイツだからね!」と話してくれて、なるほどーと私は感心したことがある。



私が親になって、サンタからのプレゼントを贈ったのは、息子が1才の年からだった。
そろそろサンタわかるよね
保育園でうちだけ来てなかったらかわいそうだよね
自分も親にしてきてもらったし、とか。
そんな程度で贈りはじめたが、目を覚ましプレゼントを見て、朝から興奮する息子の姿を見るのはとてもうれしく微笑ましかったように記憶している。

100%ウソであるのに、親が子どもにサンタからのプレゼントを贈るのはどうしてだろう。
ウソかもしれない、ないかもしれない、それでも信じたり、少しの夢をみたり、願ったり、そういう希望を持つことの大切を与えてもらったのかもしれない。



あの日、真剣な顔をして「サンタはいる?」と聞いてきた息子は、いま中学生になった。
「サンタはいるんだよ」と大まじめを装っているが、その顔はニヤけている。狙っているゲームがあるらしい。
私には、今のあなたの年からサンタは来なかったぞ。と思いつつ、
「いると思ったらいる」と言ってしまった以上、もう少しサンタ役を引き受けてあげてもいいかなと思う。


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