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before.010

(before.009→)

加藤トモコ、29歳
食品メーカー、商品開発

そのとき私は30歳を目前に控えていた。
新卒で入社したアパレルに7年間勤め、食品メーカーへ転職した年でもあった。

前職のアパレルでは、入社当初、倉庫勤務で嘆いていた私だったが、その2年後なんの罰が当たったのか、店舗へ移動になったのだ。周りの同期は変わらず倉庫残留なのに、どうして私だけ!?とあのときは毎日悔し涙を流した。辞めてやる!と帰りの電車で毎日転職サイトをのぞいた。

だが、動物は適応していく生き物なのだ。私は3ヶ月もしないうちに慣れた。シフトで夜が遅い日もあったが、ムダな飲み会は減ったし、open11時だったため、朝にゆとりができた。朝ヨガもやり始めた。遅番の日は午後からの勤務だったし、都心の店舗だったので、周りにはなんでも揃っていた。ランチの楽しみもできたし、意外にも接客が向いていた。

ご来店されるお客様は30〜40代がメインで、お金にある程度の余裕を持っている方が多かった。私よりもお客様の方がブランドを詳しいことも多々あった。
まだまだ若かった私は「いつも勉強させていただいてます!」とお客様から色々学ばせていただいた。洋服のことはもちろんだが、ご自身の仕事の話や私生活の話なんかも。向こうからしたら「アパレル店員の若い子」だから話しやすかったのだろう。
1年も経つと倉庫より断然いい!移動させてくれてありがとう!という気持ちになっていた。
そこから2年が経ち、移動命令が出た。

なんと、バイヤーだ。


実は、私は航空業界に入りたかった。いま振り返ると完全にイメージだけで決めていたが、ハタチそこそこの大学生はそんなものだし、それでいい。
航空会社数社のうち、奇跡的に1社、1次面接まで進んだ。問題なく受け答えもできたし、85点は取れたと思う。でもなんとなくダメなような気がした。決定的な何かがあったわけではない。なんとなく、だ。結果はやはりダメだったが、そうだよね。と不思議とあまり落ち込まなかった。


なので「仕事で海外へ行く」というのは昔から憧れていて、バイヤーなんて楽しみすぎる!と私は意気揚々としていた。
あとで聞いた話では、人事が客のふりをして店を回っていたのだという。そのときに、お客様と自然体に話している私の姿を見て、どうやら抜擢されたらしい。


それから2年、バイヤーとして外国へ飛んだ。
買い付けはシーズン毎なので年4回の計8回
パリ・ロンドン・ミラノ・NY
とても刺激的で見るもの全てが新鮮だった。3回目くらいになると、要領も得て全体像もつかめてきたが、「地球の東の端っこの島」で生まれ育った私にとっては異文化が何より楽しかった。


周りの友人が、20代のうちにと結婚へ駆け込む姿をみて、私も意識せざるを得なくなった。
結婚願望はあったし、おそらく店舗勤務のままだったら、周りの流れに合わせて結婚していたかもしれない。彼氏がいなかったわけじゃない。漠然と、結婚というのは就職活動のように時期が来たらするものだろうと、悠長に構えていた。


私は、13歳上の彼と付き合っていた。夏はキャンプにサーフィン、冬はスノボとアウトドアな人だった。桜が咲けばお花見に行こうと誘ってくれ、花火大会に海水浴、秋はロープウェイに乗って紅葉を見に行った。
デートのときは必ず車で迎えに来て、帰りも家の前まで送ってくれる。旅行へ行くときは、全て彼が手配してくれる。
同級生か、1個上の先輩としか付き合ったことがなかった私は、大人の男とはこういうものなのかと、文字通りおんぶに抱っこだった。

彼との将来を考えていなかったわけじゃない。彼だって年齢的にも自分の人生を考えていただろう。だけど彼は結婚という文字を決して口にはしなかった。今ならその時の彼の気持ちがわかる気がする。相手はまだ若い、選択肢は広がっている。ここで決めてしまっていいのだろうかと。

その彼とは4年ほど付き合った。最後は、彼が仕事で神戸へ行くことになり、落ち着いたら来たら?と言ってはくれた。そこでプロポーズの言葉があれば、ついて行ったかもしれない。でも私は仕事を捨て、友人もいない地に、彼だけを追ってついて行く気持ちにはなれなかったし、彼もまた全てを置いて来てほしいなんて言えなかったのだろう。そのときの彼にとっての最大限の言葉だったのかもしれない。

だけどそのことをきっかけに、私は転職を考えはじめた。仕事は楽しい。ただこのままでは結婚しても、子どもを育てるのは難しいだろうということはわかった。部署に子育てをしている女性はいなかった。
私はバリキャリ思考でもなかったし、ずっとここにいるイメージもわかなかった。次の移動は遠そうだし、縛りが少ない環境がいいなと考えた。

退職はスムーズだった。バイヤーになりたい人は山ほどいる。「残念だよ」と上司は言ってくれたが、アパレル界の花形を自ら去るなんて考えられない。という心の声はきちんと私に届いていた。


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