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たゐ國 ta-wi-koku
「列伝(俀国伝など)」の原文は「俀(たゐ)」。
「帝紀」には「倭」とあるが、これは歴代の中国王朝は「倭国(ゐこく)」(倭の上古音は「ゐ」)と呼んでおり、帝紀ではその慣例に従い「倭」を用いた。
隋の高祖文帝(楊堅)は、大委(たいゐ)という呼び方を嫌い、当時の国名として音の似た「俀(たゐ)」の文字を用いたとの説あり。
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法華義疏に「大委上宮王私集」との署名があり、多利思北孤(たりしほこ)は自らの国を「大隋」に対し「大委(たいゐ)」と称したとする。
※『三経義疏』(さんぎょうぎしょ)は、聖徳太子によって著されたとされる『法華義疏』(伝 615年)、『勝鬘経義疏』(伝611年 )、『維摩経義疏』(伝613年)の総称。
法華義疏には後世の者の但し書きが付記された。「此は是、大委国上宮王(やまとのくにかむつみやのみこ)の私集(わたくしにあつむるところ)、海彼(わたのあなた)の本にはあらず」。
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「倭」の上古音は「ゐ」
意味「従順・おだやか」
金印に「委奴国」とある。
「奴」の音は「ど・ぬ・の·な」
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「ゐ」は古くは「wi」と発音された。
鎌倉時代以降は「i」と発音されるようになり、「い」との区別がなくなった。
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少し話が逸れるが、あの金印について。
「一巨石の下に三石周囲して匣(はこ)の形をした中に存したという。すなわち金印は単に土に埋もれていたのではなく、巨石の下に隠されていたということになる。(wikiより)」
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上の部分は蛇のデザイン。
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※谷口メモ
大委国上宮王、読み方としては「たいゐのくにのかむつみやのみこ」かと。
たりしほこにしても邪馬台国にしても、北九州説には違和感あり。何故なのか、その理由を自分自身に説明出来るだけの根拠を探している。
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