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京極高次に関するMEMO


京極家の菩提寺


お市からみた京極高次

旦那さん(浅井長政)のお姉さんの長男。甥っ子。お市の次女、初(はつ)のご主人。

小谷で生まれる。兄(信長)の人質、家臣となる。長政は養父でもあり、お市は母代わり(13歳差)。浅井家滅亡後、秀吉に追われた高次を、再婚した柴田家に匿う。その後、近江國高島郡を治める。お市の次女、初と婚姻。近江大津を守る大名となる。

京極高次

浅井長政の姉の長男として、浅井氏の居城である近江国の小谷城京極丸で生まれる。幼名を小法師と称す。

父高吉の人質として岐阜の織田信長のもとへ送られる。

元服後は高次と名乗り、そのまま信長に仕えた。

本能寺の変後の山崎の戦いでは、高次は高次の妹・竜子の婿(高次の義弟)・武田元明と共に本能寺で信長を襲った明智光秀に通じ、天正10年(1582)6月、長浜城に出陣した。このため豊臣秀吉の追捕を受ける身となり、高次の叔父であり義父でもある浅井長政の妻、市が再嫁していた柴田勝家のもとに逃れたが、翌年、勝家は賤ヶ岳の戦いで秀吉に滅ぼされた。

秀吉の側室となった妹・竜子の嘆願などにより、高次は許されて秀吉に仕えることとなり、天正12年(1584年)に近江国高島郡2,500石を与えられる。

京極家の旧家臣である浅井家の娘・初(父は浅井長政)を正室とする。高次と初は従兄妹同士であった。

文禄4年(1595年)には近江大津城6万石へと加増され、従四位・左近衛少将にも任ぜられた。大津城は明智光秀の坂本城の後継として秀吉の親族である浅野長政が築いたものである。滋賀郡にある南西近江の要の城であった。翌年には羽柴の苗字公称も許され、豊臣姓を下賜され、従三位・参議(宰相)に任ぜられる。




お市にとって高次は本当の家族同然だったのだろう。弟のようでもあり、そして忠実な家臣、かと。

谷口理香
霊能者/写真家


一斉遠隔ヒーリング
水依姫&水の祀り-京極



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