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家島/宮浦神社 息長一族/蘇我氏/聖徳太子


兵庫県姫路市 家島

左 生島 右端の方に霞む 家島と西島


赤穂での奉納演奏のお席は偶然 家島と西島の正面


宮浦神社

姫路市家島町宮970
姫路港より汽船約30分「宮港」下船

琵琶湖の白髭神社の神様を勧請し家島白髭大明神を祀る。

宮地区の入江の奥に『播磨鑑』でいう「家島十景」の1つ赤坂の清水(破風の井戸)と呼ばれるかつての名水があり、傍に何体かのお地蔵様が祀られているがそこの1体は当社にあったものとも云う。ここには神事専用の取水口も設けられ祭典に使用されていた。

家島本島宮地区の氏神神社として鎮座する。諸島総鎮守の家島神社と関係が深い。夏祭りでは当社の火を戴いた上で提灯行列が行われ約1.5km離れた家島神社にその火を移す事によって祭りが始められることからも伺える。

社伝によれば比叡山実相院の覚円僧都が門徒と共に坊勢島に渡海し、或る夜霊夢によって故郷の琵琶湖に準え白髭大明神を勧請したという。以来この地を宮浦と称するようになったと伝える。境内にある元禄5年(1692)建立の鳥居は、以前は海中にあったともいわれ近江の白髭神社を想わせる。

旧の御社殿は、天明5年(1785)に建立され壮麗であったが、痛みが酷く昭和63年(1988)氏子の赤誠によって主要建物全てが改築された。

ご神木
柏槇伊吹
(ビャクシンイブキ) 
樹高約8メートル


西島
古墳群と頂上に不思議な巨石あり


近江
琵琶湖の白髭大明神
(比良明神白髭神社)
  ↓


奉納演奏中、遠く霞む小さな島から呼ばれ、まっすぐ一直線に海を渡り、龍は来るわ白蛇は来るわ、船に乗ってたくさんの人たちが来るわで…、一人静かに驚いていた。

(あの島は、なに?)

なるほど、赤穂の港から眺める家島は、琵琶湖の湖北から眺めたときの竹生島と良く似ている。(もしくは西島なのか?)

古墳と宝珠、白蛇さま。

伊吹山、
息長(おきなが)一族の姫。

おきながたらしひめ、
神宮皇后。

削られた男鹿島、
伊吹山も掘削の傷跡深く。

伊吹の古代豪族、息長の一族について追っていると、必ず、聖徳太子と蘇我氏が繰り返し登場してくる。

蘇我氏は、当時は蘇我という呼び名ではなく、嶋大臣、鞍作造(くらつくりのみやつこ)などの役職名で呼ばれていた。

蘇我氏に縁の深かった、現在の人たちの氏の中に、嶋、島、大倉、菅、菅原、大鹿などの姓があると考えている。(菅スガは、ソガ)これはリーディングや霊視による個人的な考察。

また、蘇我氏の流れである聖徳太子は、個人的には女性だったと感じているが、敏達天皇の最初の皇后、廣姫は息長一族の姫で、彼女の死は、実在した聖徳太子の本当の姿を知る上で重要な鍵なのだと思う。

同時期、軍師として聖徳太子のそばにいた秦河勝公。

消えた鞍作造を長とした巨大勢力、蘇我氏の末裔たちは、どのような形で生き延びたのか。名を捨て、功績を奪われ、歴史を書き換えられ、それでも強く生き残った子々孫々は、どこでどう生きているのだろう。

聖徳太子もまた、息長一族の血をひく姫巫女、祭祀王(プリーストキング)なのではあるまいか。

この件に関して、何故かとても感情的になる自分がいる。

歴史は、戦に勝ったものが書き、それが後の世の真実となる。

本当のことなど誰も知る由もない。

いつの世も、いつの世も。

谷口理香
霊能者/写真家/アロマセラピスト

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