何もしなくても価値がある存在
休日の朝、
夫は掃除機をかけてくれていて
子どもたちはそれぞれ
YouTube観たり好きなことして遊んでる。
私は洗濯物をたたんでいた。
YouTube観てた次男が
掃除機の音を「うるさーーーい!」って
叫んだの。
その時に思い出したことがあって。
私、子どもの頃(実家に住んでた頃)
同じようにTV観てたのか
ゴロゴロしてたのか
何してたか覚えてないけれど
自由に過ごしてた時に
母がかける掃除機の音を
うるさいって思ってたし
邪魔するなって思ってた。
当時、学生時代も就職してからも
平日は楽しいよりも『真面目な子』を
やっていたから
休みの日は疲れて
何もしたくなかったし
朝ゆっくり寝てたいのに
布団干すために剥がされて起こされるとか
家でもゆっくりできんじゃんって
思ってた。
そして母はいつも
家事を何もしない父を怒っていたし
何か頼まれるわけでもないけど
『働かざるもの食うべからず』って
ご飯食べる前にはよく言われた。
私は
母が家事をしてくれるのが当たり前で
感謝が足りなかったのだろうし
どれだけ大変なのかも知らなかったけれど
私が結婚して
妻になったり母になったりしたときに
家事を本当はしたくないこと
調子が悪くてできないこと
やり忘れたりすること
それに対して
すごく自分で自分を責めるし
しなければ認められないと思って
しんどいのに、
夫にやってもらうのは
罪悪感があったし
当たり前にやらなければいけないことを
できない私はダメだと思っていた。
よく、『怒ってる?』って
夫に聞いちゃうんだけど、
怒られると思っていたのは
怖がっていたのは
子どもの頃の私だったのよ。
我が子たちのおかげで
何かしたから愛してるんじゃなくて
存在自体が愛おしいって
こういうことだと気付けたから
私は私でいいんだなと今は思える。
そしたら
いつもの癖は出るけど
全然違うよ、苦しくないし、
人にもイライラしない。
そう思えるママが増えたらいいな。
ママが笑顔だと
子どもたち幸せだもんね。
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