【うつ病エッセイ】大切な人の葬式に出たいからうつ病と向き合うことを決めた
はじめに
今年でうつ病10年生になった。
うつ病になってから10年。今の状態を正確に表すと「うつ持ち」という表現がしっくりくるなあと思う。「頭痛持ち」みたいな感じでたまに顔を出すイメージだ。
10年というのは長いのか、どうだろう。この先もし50年生きるとしたら短いのかもしれないけど、風邪とか怪我とか私が今まで経験した何よりも長い気がしている。
うつ病は先が見えない。未知で暗くて、孤独。そして深いなあと思う。
抽象的になってしまったけど、つらいものである。
うつ病になって数年目のとき
「きっとこれは一生の付き合いになる」と悟った。
完治とかそういうものではないんだ、共存するしかないものなんだろう、と思った。
共存というと堅苦しいけど、付き合っていく、一緒に生きていくようなイメージだ。
前向きなようで後ろ向きな諦めの考えかもしれない。
一生この波と付き合うなんて、なんなのだ。いやだ。
うつ病になって数年の頃の私はもっともっと悲観して後ろ向きだった。まあ、そんなに長生きはしないだろうしと、うつ病で消える可能性も残しつつ、悲しいとか絶望というより諦めていた。
しかし、私は今ある程度前向きに生きている。
波はある。
けど自分の状態を客観視している。できていると思う(昔よりは!)。
調子が悪くなったとき「たぶんこれは数日たてばおさまる」と感じ
「こうやって過ごす」という自分リストを出す。
それをペラペラとめくり、できることを探す。
実行して過ごす。おさまる。それを実感する。
そう、わかっている。受け入れている。
前を向いて向き合っている。
そう、前向きなのだ。
月日のおかげもある。
それでも昔よりも!さらに自分を内省して客観視している。何ならもう1人の自分はうつの気配が来たら待ち構えている。「ようこそ」って思ってるときもある(もちろんそんなにうまくいくときばかりじゃないけど)。
でも月日だけではない。私にはあるできごとがあった。
確実に転機となったことがあったのだ。
今回はそれをエッセイとして残したい。
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