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ワリワリが蜃気楼を永遠にしたはなし

先日京セラドームで行われたTXTの初ドーム公演に参加してきました!
かなり良席に恵まれたこともあり、本当に楽しかったです…。ドームの追加は大阪のみということで、大阪に大集合したオタクと飲んだりしたのも含めて本当に楽しかった……。

公演自体も、ソウルであったらしい香りの演出とか、薔薇タバコとかMagicのダンスブレイクとか、「日本でも見れればいいのに!」と思っていたものが詰め込まれていてとてもうれしかったです……。ありがとうトゥモローバイトゥゲザー………。

その中でもとってもうれしかったのが、アンコールでサプライズとして歌われたMOA Diary(以下、ワリワリ)。以前にもnoteを書きましたが、私、この曲もともとだいすきなんですが、今回京セラでみんなでワリワリをしたら、なんだか本当にこれは「魔法の呪文なんだなあ」と実感したのです……。その辺、今回は書ければいいなと思います。

↓以前のnote

ところで、今回のTXTのワールドツアーのタイトルは「ACT:SWEET MIRAGE(甘い蜃気楼)」でした。以前noteに書いたように、TXTが色んなコンテンツで描いている物語の位置づけから名づけられたという側面ももちろんあると思うけど、京セラ公演に入ったら、なんだかこれはコンサートそのものを端的に示したタイトルなのだなあ、と思いました。

なんていったって、コンサートという時間は儚いのです。実際問題、コンサート中は「この時間が永遠に続けばよいのに!終わらないで!!」とか思うけど、体力的に無理じゃないですか、演者側も観客側も(余談ですが、今回のコンサート4時間弱の長丁場だったのでもう私は本当に限界でした…笑)
このあたりについてTXTは自覚的なんだなあというのをセットリストからも、スローガンの文言からも、このツアー中(まだ終わってないですけど)ずっと感じてました。

例えば、コンサートの始まりを告げるBlue Hour(5時53分の空で見つけた君と僕)の歌詞では、何度も何度も「魔法よ解けないで」と歌っていますが、同時にTXTはコンサートのことを「魔法のような時間」と称します。つまり、「コンサートという魔法は解ける」という前提に立っているんですよね。
また、ツアーのほとんどの公演のスローガンには、「永遠」という言葉が入って、雑要約すると「MOAとTXTが一緒にいるこの時は永遠だ」とか、「永遠に忘れない」みたいな祈りの文言が多い。これもやっぱり「ずっと続くことが当たり前ではない」ということを自覚しているからこそだと思うんだな。

なぜそんな前提に立っているのか、無邪気に「アイドルとファンが一緒に入れる魔法が永遠に続いていくこと」を信じられないのか、を考えていくと、これまで私が見てきたTXTのコンサートたちが頭に浮かびました。
有観客の実現をめざして、粘りに粘った1stコンサートACT:BOYは結局無観客でのオンライン配信となったし
昨年行われた初のワールドツアーACT:LOVESICKも、日本公演は歓声がNGだった。
だからこそ、お互いの名前を呼び合える今をTXTは「魔法のように貴重なもの」と捉えているんじゃないか、とか思ったんですね。

また、魔法、あるいは誘惑のようなものは「成長を阻害するもの」であるということもあるのかなあ、とか思います。すべてが魔法で片付いてしまったら、人は努力しなくなる、とか。
アイドルや、そのコンサートの存在も、やっぱり時間やお金を使いすぎると、ファンにとっては「害」になりかねないですよね。毎日コンサートに行くわけにはいかず、日常では私たちは仕事や学校に行かないといけないわけです。だから、やっぱりどこかのタイミングで「魔法を解かないといけない」。

コンサートの中でも、TXTはアンコール1曲目でFarewell, Neverlandを歌うことで、甘い蜃気楼に別れを告げます。
TXTもMOA(ファン)も、勇気をもって下へ飛び込み、現実へ帰っていくわけです。

ただ、これだけを見ると、じゃああのコンサートは、ただの蜃気楼にすぎなかったのか、ただの一瞬の魔法か、永遠なんてないのか、と思っちゃうんですけど、そんなことはないと思っていて。

まず第一に、コンサートというハレの日は、日常と地続きなんだよな、とも今回思ったんです。一番にそれを感じたのは、メンバーのご家族が来ているということに言及していたコメント。また雑要約すると「MOAのおかげでこんな大きな会場でコンサートができたし、家族も見に来てくれた。家族にとって誇らしい僕たちにしてくれてありがとう」みたいなことを言ってましたね。
これを聞いた時、確かに今この瞬間は、色んなことが重なった魔法のような奇跡だなあ、と実感した。
TXTが才能を持って生まれてきて、その上で彼らの日常として努力を重ねてきたこと、それがたまたまスタッフやプロデューサーの目に留まって世に出たこと、それを見た我々MOAがTXTを好きになって毎日コンサートに向けて働いたりしてチケットを買って4万人もの人が京セラに集まったこと。一つ一つの行動が日常の積み重ねで実現されているんだよな~これは確かに魔法の時間だわあ、と素直に思いました。だからコンサートは一瞬の蜃気楼だけど、でも一瞬じゃないよね。ずーっと前から、極論TXTやMOAが生まれた瞬間からずっと続いているわけですよ、ある意味においては。

もう一つは、アンコールでのワリワリを聞いていて思ったこと。それは、「ずっと覚えておくこと」、「明日も一緒にいたいと祈ること」はいつでもできるということ。
ワリワリは「どんな時も一緒にいよう、覚えていよう」、「一瞬一瞬を集めていこう」というようなことを呪文に込めて祈る歌ですね。私たちの日常はコンサートのような楽しい時間ばかりじゃないけれど、それでも互いを思うことで一緒にいる、ということはできるんだよな、改めてと思いました。

Farewell, Neverlandが歌われる際のVCRで、彼らが下に降りていけるのは「お互いの名前が呼べるから」と言った内容が示されます。私たちがコンサートの思い出を胸に素直に現実に帰ることができるのも、やっぱり、日常のちょっとした瞬間に、楽しかったコンサートを思い出し、TXTが大好きだなあ、と思うことができるから。楽しい思い出を日常の糧にできれば、コンサートは終わっても終わらないんじゃないか、終わらせない呪文がワリワリという曲だったなあ、と思ったんです。そうして次のハレの日まで、お互い思い合う日常を集めていくんだなあ(だから交換日記なのだし、永遠にMOA(集めて)、until we're shining againってそういうことだよね)
極端な話、私がTXTに興味がなくなる日がきても、京セラ遠征がとっても楽しかったことはしばらく覚えていると思うんです。そしたらもうTXTと私は永遠なんだよな……。

思えば、MOAの正式名称はMoment Of Alwaysnessですね。Alwaysnessには当たり前だけど、明日だけじゃなくて、コンサートまでをつないできた昨日までの日常も、今日も、コンサートのようなハレの日も、やってられないような普通の日常も含まれます。良い時だけじゃなくて、どんなときも含んだ名前をくれて、呼んでくれるTXTは優しいなあ、と思います。なるべく「明日」を共にしたいとも思いながら、もう一回でも一緒にいたら永遠な名前を持っている私たちMOA、最強だね!とか思っています。あ~京セラ楽しかったな!!

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