The Name Chapterの準備運動
みなさん!!!!The Name Chapter、楽しみですね!!!!!!(のっけから圧がすごい)
ツイッターフォローいただいている方はよくご存じかと思いますが笑、私は「名前」という概念がすごく好きみたいで、MMAのスポがあってからというもの、尋常じゃない量のツイートを重ね、コンセプトトレイラーが出る前からエクセルだのパワポだの作って毎日楽しく生きています。
んで、ついにカムバ日も決まったことだし、昨年末の記事↓から書きたい書きたい言ってた名前の話、いい加減noteにまとめるか、と思いまして、ようやく着手した次第。ザクっと書くから随時追記するかもしれないししないかもしれない(さいですか)
あんまりTXTと関係なくなるかもしれませんが、ご容赦ください。
1.「名前」と所有権
さてさて、なぜ「名前」が必要になるのか、という話をします。
名前が持つ意味、それは個人の識別です。あなたとわたしは別人です、ということを端的に示すのが名前になりますね。
(逆に言うと、名前を付けないとわからなくなるくらいあなたとわたしの境界線=個性はあいまい、ともいえると思うんですが、脱線するのでおいておきますね)
じゃあなんで、個人の識別をしないといけないか、に目を移すと、「何かを所有するため」と言えると思います。
自分の持ち物に名前シールを貼るのが一番わかりやすいけど、そうじゃなくても名前がないと銀行口座も開設できない=お金も持てない(現金なら、みたいなめんどうな話はなしねw)
そして誰かからの認識や愛情みたいなものも名前がないと受け取れないように思います。例えば、私がTXTを好き!と言えるのは、TXTがTXTという名前を持つからです。さっき名前を持たないと識別できないくらい個性というものはあいまい、ということをチラリと書きましたが、これはにわとりたまごみたいな話で、「名前」を持った個体として他者から認識されることで、個性が明確になるという側面もあるとは思います。この世に人が一人しかいなければ個性もなにもなく、「自分とは違う」誰かがいるから、自分の個性も明確になる、というのは、TXTも主にSTARの楽曲を通して歌ってきている内容かと思います。
完全に蛇足ですが、いわゆるサバイバルオーディションは、合格者として名前を呼ばれなければ脱落してしまうわけですけど、「他人から認識されるくらい目に留まる個性があって」「名前の下に視聴者からの票を所有する」ことで生き残る(そうでなければアイドルとしての参加者はバーチャルな死に至る)わけですね。だからこそ、EternallyのMVで(おそらくアイドルとしてデビューすることのなかったであろう)練習室の幽霊が、「私の名前を憶えていて」とメッセージを残すの、とっても切ないですよね…
2.「名前」と責任・役割
「名前」を使って所有するものは良いものばかりか、というとそうでもない気がします。その代表例が、何かを所有する際について回る「責任」です。
エピソードの差し込み先として適切でなかったら申し訳ないですが、例えばBTSのj-hopeはよく「芸名のように明るくいなければ」というようなことを言っている気がしますが、これはj-hopeとしてのキャラクター・責任が芸名に付随していることを示してるように思います。このように、特に複数の名前を持つ場合、名前それぞれに責任や役割が付随してると言えるかと思います。
複数の名前を持つ、というのは別に芸能人等に限ったことではなくて、私自身も①オタクのりーさん、②プライベートの私=本名、③会社での私=○○部の○○さん等いろいろあるわけです。で、それぞれ請け負う責任や代表するものが変わってくる。さらに言えば(?)、もし匿名=名無しとして2ちゃんねるとかに書き込むんであれば、発言はもっと自由になるかもしれないけど、責任を伴わない発言なので、それって価値ある?、みたいな話になってきますね。
①~③に向かうにつれてどんどん匿名性は薄れていって、その分発言の自由度は下がり(発言が代表する対象がデカくなるので)、代わりに請け負える責任≒発言の価値は大きくなっていきます。「○○部の○○さん」である私だから言えることも、だからこそ言えないこともある。
3.「名前」と期待
一方で、個人が持つ複数の名前に紐づく発言・考えにはどうしたって相互影響があって(なんだかんだ一人の人間だから)、その辺の折り合いが難しいということもあるかと思います。
なぜなら、他人から付与される名前には、それが親(仮)からもらった本名であれ、会社名や部署名であれ、何らかの期待が込められているからです。
例えば、小学校の作文テーマのドドド定番である「名前の由来」。私は野球選手がシュートくんだったり、学くんだったりすると、めちゃくちゃ勝手に「親の期待とは違っても頑張って野球の道を突き進んだんだな…」とか思ってしまうんですけど、期待は愛情であると同時に縛りや重荷になりかねないな、と思ったりします。
その他にも、MAMAでのTXTのパフォーマンス等に引用されていたロミオとジュリエットは、明確に「苗字に紐づくそれぞれの家の立場」にしばられる話(そしてそれに抗う=What's in a name?)だし、TXTが展開している「星を追う少年たち」も主人公5人は「真名」にこめられた運命に翻弄される姿を描いています。
このように、名前は必ずしも個性や物事の本質を示しているわけではなく、時には個性の確立への障害にもなりうるということは心にとめておく必要があるような気がします。
4.「名前」を受け入れること
じゃあ結局「名前」なんてない方が良いのか、名前にしばられない本質を追求したほうが良いのか、というと、それも微妙だと思っていて。
我ながら堂々巡りなんですが、やっぱり「名前に紐づく責任」を請け負ってこそできることってたくさんあるのですね。それこそ、私個人の名前では成しえないことが、会社名でできることがあったりとか。きっとチョン・ホソクさんもBTSのj-hopeだからこそできることもたくさんあるでしょう。(巻き込まないでください)
だからやっぱり、「より自由な個人名(もしくは名無し)」でいることと、「自由ではないが裁量はある役割つきの名前」をうまく使い分けて、そこが矛盾しすぎないように日々メンテしていくことが人生なんだと思います(話デカない?)。
TXTのコンセプトに戻ると、幻想・夢の世界、あるいは子ども・ネバーランドは「より自由な個人名」しか持たないことに近い気がします。
名前の章のコンセプトトレイラーでは、ピーターパンとオズの魔法使いのシーンが引用されていますが、この2作品に共通していることは、「大人になる直前に幻想の世界で冒険をしてみた結果、現実世界に戻る」ことかと思います。
主人公たちが現実世界に戻った理由、たぶん、もう少し大人になってみたかったから、前に進んでみたかったからだと思うんだけど、それって責任を受け入れて機会を得ていくこと=役割つきの名前を手に入れてより大きなことをやってみること、だと思うんだよな~。まあ蓋を開けたら全然違うかもだけどね!!
以上!本当にざっくりですが、名前の章の準備運動でした。