たまには書いてみる娘のこと。
いつも自分にスポット当てがちなので、たまには娘のことを書こ〜
新卒の年の3月に産まれた娘はちょうど今日で5歳7ヶ月。4月からは小学生となる。はやい。
以前もnoteに娘の細菌性髄膜炎のこと書いたけど、実はおとといの金曜日も7回目の発作(けいれん)で、入院しまして。当日退院できたけど。(突然のキャンセルなどご迷惑おかけした皆様本当にすみません&温かいお言葉ありがとうございました🙇)
インタビュー等でもあまり娘について、ましてや娘の髄膜炎のことは話したことがなく、それは別に隠してるとかではない。毎回あんな思いするのに喉元過ぎれば忘れるのです。
7回目とはいえ、やっぱり痙攣してるの見ると血の気が引く。しかも今回は、前日に芋掘り遠足があって早く寝たラッキー!とツイートし、一人で赤ワイン飲んで、「まだ結婚できない男」見てゲラゲラ笑った夜の後。まじ何やってたんやー、と後悔した。
しかし、後悔して1秒後に思い直した。これ私がワインも飲まずドラマも見ず、品行方正に掃除して作り置き料理してたって結果は変わらんかったよなぁ、と。それとこれとは別の話。
と、前段が長くなりましたが、娘が初めてけいれん発作を起こした(=細菌性髄膜炎になった)のは生後2週間のとき。このときは、本当に怖かった。というか、何もわからなくて感情が浮かばなかった。初めての育児で、誰に聞けばいいかも、目の前で起こっていることがけいれんなのか、救急車を呼んでもいいものなのか、わからなかった。
病院に行って、診断を受けてからは、ウェブでめちゃくちゃ調べまくった。でもそのときは良い結末のものが見つからなかった。最悪の結末か、障害が残ったというものか。娘は幸いにも、けいれんをよく起こすということはあれど、何か障害が、というのは今の所ない。明るいSEOの世界に貢献するために、喉元すぎれば忘れがちなことを1回整理するために、この機会に一度まとめる。
生後2週間。細菌性髄膜炎となる。
里帰りせず出産した私は、10日間ほど自分の母親に泊まり込みで自宅に来てもらっていた。娘が初めてけいれんしたのは、母が帰って2日後くらい。
いつも3時間起きに泣く娘が、ずっと寝ていた。いや、よく考えたら寝てたわけでなく、意識がなかったのだろう。たしか旦那が会社行った後の朝9時くらいで、家で大人は自分一人。私も睡眠不足だったので、娘が泣かないのをいいことに二度寝。
正午前くらいに、自分の目が覚める。そういえば、また3時間経つが娘は泣かない。しかし、泣いてこそいないが、小さな唸り声が聞こえる気がする。隣のベビーベッドをみると、娘が唸りながら目の焦点があっていない感じがした。身体もピクピク動いているし、触った感じいつもよりあったかい。熱を測ると38度くらい。
救急車を呼ぶべきなのか。ただ、38度は大人だと高いけど、赤ちゃんは37.5度も平熱だというし、40度あるわけじゃないからそこまでしなくてもいいのかなと思った。目の焦点が合ってないというのも、正直新生児って普段もあんまり目合わないから、わからなかった。
ただ、やっぱりヤバイかもと思ったのは、授乳しても飲まなかったこと。もうかれこれ6時間くらい何も飲んでないことになる。脱水が心配になって、とりあえず近くの小児科を調べて電話。(生後2週間なのでまた小児科に行ったことがなかった)すると「すぐ来てください」と言われ、向かう。
「この子はいま意識がない状態で、通常生後間もない子がこんな高熱を出すことがない。チアノーゼもみられる。大学病院紹介するからすぐ行ってください」と言われる、タクシーを呼んでもらい、向かった。
すぐ救急の処置室でつれていかれ、この間に家族に連絡。少し経つと、先生が濁った試験管を持って現れた。なんだこれと思っていたら、「娘さんの髄液がかなり濁っています。細菌性髄膜炎の可能性が高いです。」濁った液体は、まさかの娘の髄液。髄液って初めて聞いたけど、こんな濁ったものが体内にあるのはおかしいと思った。
細菌性髄膜炎。初めて聞いた病名。webでめちゃくちゃ調べた。悪いことしか出てこない。でも、もう目の前に向き合う他に仕方ない。
その日から呼吸器をつけて入院することになった。結果、生後一ヶ月足らずで全身麻酔を打った上に頭に穴を開けて髄液を抜く手術をしたりなど、結局1ヶ月半ちかく入院した。授乳しながらの入院だったので、私もずっと付き添いで泊まっていた。しかも、女性しか泊まれないという謎ルールがあったため(これはちょっとおかしいなといまだに思っている、私はそのとき仕事してなかったからまだいけたけど仕事してる場合はどうするねんという)、旦那と交代することもできず、正直結構辛かった。なんか、こういうの書くと「子供はもっと辛いやろ!」と言われそうで、表立って発信できてなかったけど、それとこれとは別軸で、辛いんです。と言えるようになった28歳。(当時は23歳)え、てか23歳でこれ乗り越えたうち結構偉いな。うん、そういうことにしよう👏
でもすごいポジティブなこと書くと、生後2週間〜2ヶ月という最も孤独で産後クライシスになりそうな時期に、育児のプロである看護師さんのアドバイスを受けながら、病院の基礎正しい生活リズムの中で、娘の授乳とかのタイミングが作れたのはよかった。
そういえば、この経験を経て入院生活のQOL上げる事業したいなって思ったんだった(患者も、同伴家族も)。病院専門のノンカフェインが中心のカフェやろうかなと思ったけど、それ普通にスタバが病院に入ればよくねってなって考えるの辞めてしまった。また、いつか。
ひえーこのペースで書くと、徒然草なみの長編になりそう。はしょりつつ書きます。
2〜3回目は熱性けいれん
5月末には退院し、しばらくは毎日の薬&月1で病院には行きながらも平和な日々を送っていた。私もこの間に「やっぱり仕事したい!」と思うようになり、就活を経て10月には新しい仕事をはじめ、子供も保育園にいれた。
そして11月に2回目、翌4月に3回目のけいれんを起こした。このときはどちらも旦那がいて、片方が救急車を呼んで、片方が様子をみてだった。たしか2回目は前日から熱があって、3回目は突発性発疹のタイミングだった。だからこれはよくある熱性けいれんなのかな、とも思っていた。
ただ、ふつう熱性けいれんって3-5分以内に収まるらしい。しかし、娘の場合は、救急車呼んで中で鎮静剤入れるまで30〜40分以上ずーっとけいれんしてる重責状態。この長いけいれんが脳に影響与えて、後々障害残ったらどうしようってすごい心配だった。でもまぁ、1回目のこと思い出すと生きてるからいっか、ってなるのだけど。
そこから1歳半〜4歳半までは発作が起きなかった。薬は毎日朝晩飲ませて、2か月に一回は病院連れていきつつも。ただ、「薬毎日飲ませる」って言葉で言うより難しい。そもそも、大人でも薬飲むの忘れるし、ましてや赤ちゃんの時はミルクに混ぜればよかったけど、2歳過ぎるとそういうわけにもいかず、子供も「まずい」と嫌がるし。と、まぁ言い訳なんですけど、たまに薬忘れちゃったりもしたけど、3年くらいは発症しなかった。身体は小さいし、さ行の滑舌めちゃ悪いけど、とくに発達上問題もないかなって感じで。
4回目の救急車。そこから今日に至るまで3か月に一回ベースで発作
そんな完全油断してた頃、先述したとおり去年の11月に4回目の救急車。
これは本当に久々だったし、前後で熱があるわけでもなかったし、かつ仕事の山場でもあったので、どうすればいいかパニック。
そしてそこから、2019年1月、7月、10月(おととい)と結構ハイペースで発作が起きている。。。原因もよくわからず。
でも、けいれんから冷めると全然普通なんだよなぁ、、(だから逆に入院すると大変。暴れるから😂) とはいえ、今熱ある。仕事やばみ。→今もう熱も下がってただの元気な人(22日加筆)
...
と、人生現在進行中なのでまとめがムズいし、今も発作が多いので、明るいSEOに貢献できてるかは若干微妙ですが、でも乗り越えられたパターンではあるし、発達した医学のおかげで助けてもらったと思ってる。同じ病気にかかった人にとって、一つの例となれば幸いです。
あと、これを公開することにより「何となく大変そう...」と、仕事も遊びもお声がかからなくなったらどうしようという、これまた自意識過剰な心配があるのですがw。もうそれとこれとは別にしないと、生きていけないと思ってるので、ぜひこれからも遊んでください!(行けないときは断りますがすみません😭)日曜の夜に文章長いよ〜〜これ徒然草になるよ〜〜と思ったら3500字くらいだった。そこまででもなかった。
とりあえず、人生は健康と自己肯定感につきるな〜と、無理やりまとめつつ。でも、本当にそうだな。読んでくださった人、ありがとうございます👏次は源氏物語。